見出し画像

好きに生きる、はワガママか。

飛行機に乗って、雲を上から見るのが好きだ。
当たり前だけど、ちゃんと雲の下に影ができている。
それをなんだか不思議な心持ちで見てしまう。
「あの雲の下にも人がいて、『ああ少し陰ってきて涼しいな』とか思ってるのかなあ」と考えると、心がフワフワしてくる。


好きに生きたらいい。
そう心から納得できるようになったら、生きるのがほんの少し楽になった。

「うちはうち、よそはよそ」

分かっていても、空気を読まなければならない、周りと同じように振る舞わなければならないというのは微妙なプレッシャーになる。
学生時代はそのプレッシャーがもっと大きい。
どうにもこうにも女同士の仲良しこよしが苦手でしんどかった。あの「トイレ一緒に行こうよ」というのが大嫌いだった。
とは言え、「女同士のグループで過ごさなきゃいけない」のは高校生ぐらいまでかと思っていたのに、そうでもないらしい。
人によってはおばあちゃんになってもみんなできゃっきゃしていなきゃいけない場合もあるようだ。
そりゃあ、たまに集まっておしゃべりするのは楽しいけど、そんなにしょっちゅう会って何をするというんだろう……と、首を傾げる。

人の話を聞いていると、みんなもっと自己中になればいいのになあ、と思う。
それだけ周りの人たちのことをああだこうだと言うということは、自分も見られていることを意識しているからなんだろう。

みんな他人のことにさほど興味はないもんだよ、と思っていたけど、世の中どうもそうじゃないらしい。
隣の人がどんな服を着ているとか、メイクが濃いだとか、どうでもよくないのか、そうなのか。自分と違ったら何か一言物申さなければ気が済まないのか。

そもそも生きたいように生きるのなら、周りと足並みなんか揃えてられないし、気遣ってなんていられない。
日本人女性の平均寿命は長いけれど、思うように体や頭が動く時間はびっくりするほど短い。
いやあ、怪我の治りが遅くなったね、歳のせいかな、なんて笑ってる場合じゃないのだ。

焦ったほうがいい、というわけでもない。
大人になって、やっと好きなようにチャレンジできるようになったのだ。
やりたいことはたくさんある。どれからやろう、どうやって挑戦していこう? ってワクワクする。だから、私が何をしていても放っておいてほしい。

好きなことをやる。
一見、自由気ままに聞こえるけれど、そのために捨てたものも、諦めたものもある。
子どもじゃないから、欲しいもの全部を手に入れられないことを知っている。

死ぬために生きている。
でも、欲しいものを手に入れるまで死ねない。
時間は限られている。
私もあなたの邪魔はしない。
だからあなたも私の邪魔はしないで。

子どものときは地獄って概念がなくて、死んだら天国に行くからふわふわと空を飛んでいくのだと思った。
行くのは地獄でも天国でもいいから、消えてしまう前に一度空に上がりたい。最期に雲が地上に作る影が見たい。

「あの下で、さっきまでは好き勝手生きていたのね、楽しかったね」なんて言いながら。

ありがとうございます。 本と旅費として活用させていただきます! 旅にでかけて次の作品の素材に☆☆