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大人の自由研究シリーズ「人はなぜ利他的な行動をするのか?」①

なぜ、ある人は立つのは疲れるのに電車で席を譲り、ある人は拾った財布をそのまま交番に届けるのか?世の中、見渡してみるといろんな利他的な行動を目にします。

しかし、よくよく考えてみるとそういった行為に自分のメリットはありません。

その証拠に席を譲らない人もいるし、重い荷物を持つ同僚を助けない人もいますよね。人それぞれといえばそうですが、この「差」は何なのか。

ここ数ヶ月、利他や思いやりのある行動について書籍や記事を読んでみました。それらの特徴をまとめてみます。

遺伝子的に利他はメリットが多い

遺伝子の基本ムーブ

大前提として我々が持っている遺伝子は

何としてでも、自分の遺伝子を残し続ける

この一点が判断基軸になります。もはやこれが遺伝子の目的です。行動すべてが遺伝子でコントロールされているわけではありません。が、生物学的に人間の存在理由を問われれば、これが答えです。

そして、この遺伝子が意外と利他的な行動に貢献します。

いろんな淘汰

自然淘汰

ダーウィンが進化論『種の起源』で唱えた自然淘汰は平たく言えば、生き残れた種を採用し続けることで生存確率を上げていくものです。

遺伝子はランダムに作られていくのでたまたま耳の長いウサギが生き残れば、その遺伝子は子や孫に広く伝わり、たまたま耳が長くジャンプ力が強いウサギが生き残ればそれも子や孫に伝わっていくというプロセスです。

しかし、この考えに基づくと「他人を助けること」が遺伝子の目的(とにかく自分の遺伝子を残し続けるぜ!)にいつでもフィットしているわけではありません。

仮にライオンがウサギAに迫ってきている状況で、ウサギBはウサギAを助けるためにライオンに向かいません。むしろ逃げてます。

我々も大昔はおサルさんでした。この自然淘汰に逆らうことなく進化したとしたら、その特性(人助け)は我々に残っていないはずです。

血縁淘汰

ミツバチは女王バチのお世話だけでなく、女王から生まれた子どもの世話、巣の掃除からエサの確保までこなします。自然淘汰の原則に従えば、こんな面倒なことはしたくない。なんのメリットもないように思えます。

しかし、一方で血縁(全ミツバチの母は女王バチなので、半分は女王バチの遺伝子がある)である女王バチや仲間を助けることは、少なくとも半分の自分の遺伝子を残せることになるのです。

ざっくり、これがウィリアム・ドナルド・ハミルトンが提唱した血縁淘汰という考えです。これは自分の遺伝子が共有されている個体(子どもや親、親戚など)を助けることによって、より多くの繁殖が可能になり、結果的に自分の遺伝子が残る確率が増える。そのため利他的行動が起こるというものです。

なんか納得。たしかに子や親、親戚は自然と助け合いをすることが多いでしょう。道徳や当たり前じゃんと言われればそうですが、生物学的な理論としても納得です。

いや、しかし。血縁じゃない人や生物(群れで生活する系の動物など)でも助け合いは見られますよね。これはどう説明ができるのか?

群淘汰

群淘汰は特定の集団の特性(みんなで集まって行動するからライオンに襲われづらいなど)がその集団全体の生存と繁殖の成功に貢献して、結果的にその集団が他の集団よりも生き残るという考えです。

たとえば、一緒に狩りをする系の動物や集団で集まっていることで捕食者から狙われにくい、見張り役を置くという集団特性があることで、生存率が上がるなどなど。

この群淘汰は論理的に破綻しているところが多く、学者の中でも批判が多いようです。(見張り役は最も捕食されるリスクが高いのだから、その見張り特性は自然淘汰によってなくなるのでは?など)


遺伝子の視点で説明できるのはここまでが限界に感じます。

次回の記事では、利他の構造に目を向けてみます。

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