介護はリスクなのか 〜あずみの里裁判を読んで考える〜
ある日、ヤンデル先生のTwitterから流れてきた本。
当時、結構話題になった裁判ですね。日常のケアの中に訴訟リスクがあることをまざまざと見せつけられて、業界はざわつきました。ざわついたのが業界だけというのがとても悲しいことですが。
介護関係でざわついた裁判といえば認知症男性による電車事故の賠償請求裁判でしょうか。こちらの方が多くの人にとって現実的な話なんでしょうね。
さて、おやつの提供をきっかけに亡くなったことを過失として問われている事件…と思っていたけれど実は違ったことをこの本を読んで知りました。事実や裁判の流れはもっと複雑で入り組んでいます。
喉に食べ物が詰まっていることが確認されず、死因も窒息以外の可能性が示唆される解剖結果が出ている。それなのに、どうして介護現場にいたスタッフが窒息の過失責任追求されたのか。
この部分や裁判の流れは、正確な死因を求める解剖を好まない日本の現状も関わってくるようで、すごく勉強になりました。
食べている時に意識を失ったから、窒息したのだろうと想像するけれど、それは意識を失ったのがたまたま食べている時だっただけで、根拠なく窒息と判断するのはおかしいという、理屈で考えれば当たり前のこと。でも、本当に窒息ですか?と声をあげる人がいなかった、それだけのことで、1人のスタッフが6年にも及ぶ裁判に身を投じたことを考えると、本当に心が痛みます。
この裁判を初めて知った時「介護ってのはリスクをはらんでいるんだなぁ」と思いました。確かに高齢者の介護はいろんなことが起きます。転んだり、熱を出したり、それこそ死ぬことも。
でも、それをリスクと考えて、防げると信じ・防ごうとする限り、介護はとても息苦しく辛いものになります。
歩きたい、自由に動きたい、危なっかしくてもいいから好きにさせて欲しい。そう思っている人に、どう対応していくか。それは施設ごとによって違います。
例えば、転ばないように環境を整えていても転んでしまった時、スタッフが随時覗いて安否確認する施設は多いのではないかと思います。
なんとかしてリスクを回避したい、その気持ちはわかるけれど、冷静に考えれば衰えた体で歩こうとすれば、どんなに環境を整えても転ぶ時は来るんですよ。完璧・完全なリスク回避はないと心でわかっていても、実際に家族にそう説明できる施設がどれだけあるのか。
在宅ケアになるともう少しリスクに対する考え方が踏み込んでいるのだけれど…施設はどうも完全な安全を求められている感じがします。そんなものないのにね。
とはいえ、減らせるリスクは減らしたほうがいい。大事なのは、減らせるリスクか、受け入れるリスクなのかを冷静に見極めること振り分けること。理想と現実のバランスを取るにはそういった人が必要だなと感じます。
理想論じゃないリスク管理を考えるのにいい本でした。
いやー、ヒヤリハットって安全を高めるどころか、安全神話にスタッフを追い詰める闇の書類なんじゃないかと思ったわ。
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