全否定すりゃいいってもんじゃない【読書感想:感動ポルノと向き合う】
感動ポルノ。
なかなかどぎつい言葉ですよね。
感動はいいけど、そこにポルノがついただけでみてはいけないような気持ちにさせる、すごく秀逸な言葉だと思います。
ここ数年、某番組を批判する声が上がるようになりまして。
可哀想になっちゃうくらい感動ポルノといえばあの番組はけしからん見たいな空気が出来ましたよね。
でも、じゃあ
パラリンピックはいいの?
って思うんですよ。
もちろん映像演出の仕方の違いはあると思うけれど、どちらも「頑張っている障害者」を写しているわけで。
どうして某24時間テレビはダメで、パラリンピック中継や、選手の特集をするのはいいんだろう?
難癖つけたいとかじゃなくてね。
感動って、ほとんどが他人の物語に心動かされてるんだと思うんです。
本だって、映画だって、他人の物語です。
誰かの頑張った話や、苦しかった話、嬉しかった話に心が震えて、涙だって出ちゃう。
物語の対象が障害者になれば、それは即感動ポルノなのか。
いやいや、それは流石に極論すぎる。
これは、私の感じていることなんだけれど「その感動話、なんか胡散臭い」とか「気持ちが乗り切れない」って思うポイントと、「さあ、情のある人間ならここで泣かなきゃ!」みたいな押し付けを感じた時に感動ポルノという言葉が浮かびます。
障害者を取り上げるのが悪いのではなく、質の悪いエンタメの材料にステレオタイプな障害を使うのが嫌な気分になる理由なのかな?と思います。
あくまで、私の考えなんですけど。
そんでもって
ステレオタイプな障害者像を作るというのは、女性と付き合ったことがない男子が「どうせ女なんて男に寄生したいだけだろ!」と2ちゃんねるを見て息巻いているようなものだと思うんです。
そんなん、全女性がそうだと思うなよ!というのが女の言い分だし、同じようなことが障害者にだって言えるはず。
そんな勝手な人間像作って盛り上がってんじゃねーよ!ってね。
しかも情報ソース2ちゃんかよ!みたいな。
それはある種の排除みたいなものなんだと思うんです。
なんか、そういうのを考える本だったなー。
ちなみに、作者さんは映画が好きなようで、障害者をテーマに取り扱った映画がいくつか紹介されています。
その中でも、「フリークス」と「典子は、今」は見たいなと思います。
感動ポルノ、だめ、絶対!
ではなくて、どうしてダメだと感じるのかを考えてこそ、さらに次の一歩になるんじゃないかなと思う本でした。
岩波ブックレットはまだ2冊しか読んでませんが、なかなか面白いです。
これからも読んでいきたいと思います!
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