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鉄印帳の旅(28/40) のと鉄道

特急能登かがり火号で金沢から和倉温泉で下車し、折り返し七尾へと向かった。

のと鉄道は全列車が七尾駅まで運行される。和倉温泉から七尾間については、のと鉄道は第二種鉄道運行事業者として運行し、線路設備をJR西日本と共有している。


のと鉄道の歴史

JR七尾線の津幡から輪島間、能登線(旧国鉄能登線)の穴水から蛸島間のうち、七尾以北の路線を引継ぎ、現在は七尾から穴水間を運行している。

石川県が旧国鉄能登線廃止に際して鉄道存続に意欲を見せ、運輸省(当時)に廃止対象路線の早期指定を求めた経緯がある。

能登線の廃止の決定を受けて路線の引受会社として「のと鉄道株式会社」が1987年に設立され、国鉄分割民営化後の1988年から能登線の全線を継承して運営に当たった(のと鉄道能登線として開業)。

転換当初は運賃を若干値上げしたものの、運行本数を増加して乗客・収入ともに増加させ、第三セクター鉄道の成功例と言われたこともあった。

1991年に地元の悲願であったJR七尾線の和倉温泉までの直流電化の見返りとして、同線のうち電化されなかった和倉温泉から輪島間の営業をJR西日本から引き受け、のと鉄道七尾線となる。しかし、能登半島の道路網整備が進んだことや過疎化による沿線人口の減少を受け乗客数は減少の一途をたどっていった。とりわけ、高速道路網の整備がのと鉄道の経営を圧迫したとも言われるほどである。
2001年には七尾線の穴水から輪島間を、2005年には能登線の穴水から蛸島間を廃止している。

2015年の北陸新幹線の金沢延伸に合わせて、観光列車「のと里山里海号」の運行を始めた。

和倉温泉駅で撮影
穴水行きが3本、七尾行きが2本運行される。

七尾から穴水へ(乗車日:2023年12月30日)

七尾駅はJRとの共用であるが、のと鉄道の列車は専用ホームから発車する。

改札もJRとは別れており、普通列車で乗り継ぐ際は2度改札を通る必要があるので注意が必要である。

七尾13:11発で穴水へ向かう。

七尾駅。のと鉄道線専用ホームから出発する
駅名票はJRと共有。

本来であれば、七尾駅を12:30に発車している「のと里山里海3号」に乗車したかったが、すでに予約で満席であった。

1両の気動車に乗車するが、すでに先客で座席はほぼ埋まっていた。運良く海側が望める席を確保することができた。

のと鉄道HPから。七尾湾に沿って走行する

定刻で出発すると次の和倉温泉までは直線も多く軽快に走る。和倉温泉では1番のりばに到着する。ここまではJR七尾線であるが、金沢からの普通列車は七尾止まりであり、和倉温泉へは特急列車のみ運行されている。

和倉温泉を13:18に発車すると架線はなくなり、いよいよ非電化区間を走行していく。

すぐに七尾湾が現れ、この先七尾湾に沿って穴水へと向かっていく。

田鶴浜、笠師保、能登中島、西岸、能登鹿島、穴水の順に停車していく。この先、能登中島駅までは平たんな区間が続く。

田鶴浜駅

レトロな看板

田鶴浜に13:22に発車すると、七尾湾を右手に和倉温泉の旅館群を遠目に眺めていると、笠師保に13:27に到着した。

七尾湾と並行
奥に見えるのが和倉温泉の旅館街と能登島。七尾湾を回り込むように走行している。

笠師保駅

駅名標

少しずつながら下車客も確認できたが、ほとんどは穴水まで乗車していた。

能登地方を結ぶ重要な公共交通機関であることが実感できる。

能登中島駅

沿線の主要駅の一つ能登中島では七尾行きの列車と対面した。

のと鉄道線は単線ながら、和倉温泉、能登中島、能登鹿島は列車交換ができる設備を有している。

能登中島駅で忘れてはならないのが、貴重な車両が保管されていることである。郵便輸送に使用していた「鉄道郵便車両オユ10」である。

かつて使用されていた郵便専用の客車が保存されている。
今回の能登半島地震で大きな被害は免れたという。

能登中島を13:34に出発し、この辺りから若干上り坂が続き、七尾湾から離れ山合を走行していく。

駅間距離も若干ながら長くなっていくのがわかる。小高い山林を抜けると、再び七尾湾が現れ、小さな漁船を見つけることができた。

この辺りでは養殖カキが生産されている。日本海側では珍しい。
能登半島地震では養殖いかだも被害を受けている。

西岸駅

右奥には能登島の存在も確認できる。13:41に西岸を出発すると、再び湾に沿った走行となり、カーブの区間が続く。右手に見えていた能登島からも離れていき、背後にのとツインブリッジを確認することができた。

ツインブリッジのと
七尾湾。さらに奥へ進むと日本海につながる。

能登鹿島駅

春には構内が桜で満開になる

ホーム上の桜並木(ソメイヨシノ)で有名な能登鹿島に13:46に到着した。

能登鹿島駅と終点の穴水駅は穴水町に所在しており、その他の駅はすべて七尾市である。

終点の穴水まであと一息。

能登鹿島を出発してのと鉄道線では初となる山合走行となる。

しばらくすると、沿線で唯一のトンネルに差し掛かる。実はこのトンネルには仕掛けが施されている。トンネル内には至る所にLED電球でデザインされていた。のと鉄道社員による手づくりのイルミネーションである。

七尾から和倉温泉間は交通系ICカードが利用可能だが、
実質特急列車のみで、のと鉄道の列車では利用できない。
鉄道むすめが注意喚起

穴水駅

駅間距離では最長となる6.3キロを走行し、13:53に穴水到着した。七尾から33.1キロの場所に位置している。

のと鉄道の車両は穴水駅を拠点に運用されている。構内は1~3番ホームまである。

終点に到着
ロゴマーク

かつてはこの先で輪島方面と蛸島方面の列車があったが、現在は廃止され、バス転換となっている。

輪島(2001年まで)、珠洲、蛸島(2005年)へ向けて線路が延びていた。
輪島方面とともに当駅から北鉄奥能登バスの利用となる。
穴水駅舎。この辺りも被害は大きかったと思われる。
生活応援フリーきっぷ。七尾市と穴水町の助成により、通常1,600円のところ800円で発売。七尾から穴水までの片道利用でもオトク!当日はこの切符を使う乗客が多かった。
生活応援切符は沿線の観光施設などで特典が受けられる。

鉄印

以下の3種類を入手した。

桃鉄とのコラボ鉄印

追記:令和6年能登半島地震を受けて

今回の記事は2023年12月30日に乗車した記録である。

この2日後、2024年1月1日に能登半島沖でM7.6の地震が発生し、日本海側の広い範囲で津波を観測した。能登半島の輪島市、珠洲市、能登町、穴水町、七尾市などの能登地域が壊滅的な被害を受け、多数の死傷者が確認されている。行方不明者の数も日を増すごとに増えている。そして今もなお、余震が続いている。

地震、津波の一報を受け、本当にショックで言葉が出なかった。

災害発生時に使われる「お亡くなりになられた方々に衷心よりお悔やみ申し上げますとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。」の定型的な表現で済ませてしまって良いものか大いに悩んでいる。

一方で災害直前の日常が詰まった大切な記録として残しておくことに一定の意義があると感じ、この記事を執筆している(もちろん、大切な記憶を風化させないためにも)。

今回訪問したのと鉄道沿線の各地で甚大な被害が出ている。
JR七尾線とは比較にならないくらいの大きな被害である。

復旧の目途も立たない状況であるが、能登地方の重要な公共交通機関であることに変わりはない。
1日も早い復旧が待たれる。


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