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情報の透明化の必要性

今回は自分のキャリアや人事に関する話題ではなく、
最近感じている“組織に対するモヤモヤ/組織に感じる課題感”に関して、記載させていただきたい。


情報を知っている(持つ者)と知らない(持たざる者)の距離感

言葉で書くと非常にシンプルな記述になるが、この隔たりには想像以上の距離があるのでは?と日々感じている。
情報を持っているだけでイニシアティブを持つ者になることができるし、場合によってはマウントを取る形になっているシーンも多く存在する。本人からするとそんなことはない(≒マウントなど取っているつもりは毛頭ない)のかもしれないが、それは一側面からの考えであり、意見であると思う。
情報を持たざる者からすると、“あの人は知っているけど、私は知らないこと”“管理職では共有されているが、一般職では知らないこと”といったフィルターをもとに判断してしまう。つまり、拡大解釈すると情報を提供されない→私はその仕事を行うことを期待されていない→であれば、知りうる人だけで議論・判断すればよいのでは?といった事象も起こってしまうと思う(むしろ起こっている)
たった一つ、たった少しの情報共有がなされていないだけでも、人間のモチベーションに大きく影響を及ぼすということをもっと考えるべきはないだろうか。

では情報は何を、どんな風に共有(開示)されるべきなのか?

結論から言うと、“可能な限り広く、深く、オープンに”が私としての見解である。
もちろんインサイダー取引につながることや人事情報など、会社の中ではどうしても共有が難しいものが存在することも認識している。そういった情報の扱いは注意しつつ、可能な限り情報がオープンにされることが必要なのではないだろうか。
それも、特定の人がアクセスできる場所で共有されているのではなく、誰でも、いつでもアクセス可能な場所に情報が格納されていることが望ましいと考える。

情報がオープンにされるとどんなメリットがあるのか?

あくまで個人的な意見にはなるが、いくつか考えてみた。
1)組織が能動的に動くようになるのではないだろうか。
情報がオープンにされているということは、自分が動くための前提情報をいつでも獲得できるということ意味する。もし情報がオープンになされていないとすると、ある種“自分ゴト化”するのが難しいケースが想定でき、メンバーの自立した行動の足かせになってしまうこともあるかもしれない。しかしながら、仮に情報がオープンになっているとすると、個々人がその情報を解釈し、自らの業務と照らし合わせて“今、何ができるのか?”を自考することにつながると考える。情報があることで、判断をすることができる。判断があるからこそ、人は自信をもって行動できるのではないだろうか。(自分の行動に責任を取る意味でも)
 
2)情報の共有スピードが上がるのではないだろうか。
情報がいつでもオープンにされているということは、つまりいつでも最新の情報に更新されている必要がある。(もし情報が古いままになっているとすると、個人間で解釈に差が生じてしまう)
いい意味で周囲の人間が監視役になることによって、情報の更新スピード/更新内容の精査につながっていくと考える。情報共有のスピードが上がる効果は数多見込めるが、やはり判断・行動のテンポアップにつながることが最も大きなメリットだと私は考える。
 
簡潔ではあるが、情報がオープンにされるメリットを個人的に考えてみた。
もちろんこれがメリットのすべてではないと思うし、反対にデメリットも存在するかもしれない。
私自身の抜けもれを認識し、学びを深めるためにも、ぜひコメントでも意見を寄せてもらえると嬉しいです。
 
今回はいつもと趣向を変えた記事になりましたが、今後もキャリアや人・組織を中心に、いろんなことを考えていきたいと思います。同時に学びも深めていきたいと思うので、ぜひお気軽にコメントやご連絡をいただけると嬉しいです。

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