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陰キャラだとか、陽キャラだとか、くだらないけれど、それが全てだった #私が14歳だった頃

クラスにカーストがあると感じたのはいつからだっただろうか。

“クラス”というものがあった頃、自分がどんなキャラクターかということは、もっと切実な、毎日の楽しさを左右する変数だった。それによって、クラスの立ち位置が決まるからだ。学生時代を思い出すと、自分が自分であることに、もっと押しつぶされそうだったことを思い出す。

いじめが激しい小学校を卒業した私は、それよりやや平和な中学校に入学しても、しばらくはこの立ち位置を守るのに必死な女子学生だった。クラスで存在を表現するたびにビクビクしなければならない陰キャラはやだ。だからといって、友だちづきあいが面倒そうな陽キャラも無理。

ちょうどよく、誰とでも仲良く、無害な私。役に立つ私。クラスという小さな箱の中の私は、綺麗にハマるパズルのピースみたいに、周りの環境に押しつぶされて形作られていた。

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しかし、中学校に入って2年目、14歳という1年は、それまでクラスに順応した自分を生きるだけで精一杯だったところから、”クラスの中の自分”以外に自分を見つけられるようになった一年だった。もはや幽霊部員になっていた部活をやめて、帰宅部になった頃。放課後に、”学校にいないわたし”の時間ができた。

再放送のドラマを毎日見た。こっそり小説を書いた。エヴァンゲリオンにハマった。BUMP OF CHICKENの2万字インタビューを部屋にこもって読んだ。ヤフオクでアイドルのグッズを売って、ギターを買った。インターネットで毎日2時間誰かのブログを読んで過ごした。

家に帰ると、自分の感性が伸びをして、ぐんぐん外に出ようとする。心が動かされるものをいつも探していた。主張のない、つまらない自分は学校に置き去りにして、”自分が好きだと思えるもの”をたくさん見つけたかった。学校にいない"ただの14歳のわたし"をひたすら楽しもうとしていたのだ。

あんなに、「正しいか」とか「流行ってるか」とか「人生に有利か」とか「儲かるか」とか関係なく、自分の感性だけを両手に抱えて毎日を暮らしていたのは、あの頃くらいだっただろうと思う。

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高校生になると、音楽や文章を楽しむ感性は一旦すべて漂白されてなくなってしまう。進学校に入学した私は、朝8時から9時間授業を受けて、次の日の朝テストのためにひたすら勉強に時間を費やすようになっていたからだ。大学に入ってからも、なんとなくもう、あの頃のように音楽や文章を楽しむことができなくなっていた。「正しいか」とか「流行ってるか」とか「人生に有利か」とか「儲かるか」とか、そういうことばかり気になるようになっていた。

けれど、最近になって、中学生時代のこの頃のことをしきりに思い出すようになった。コロナ禍で家にこもるようになったからだろうか。忙しく飲み会に行ったり、買い物をする機会もなくなって、家でじっとしているようになってから、中学生の自分のヲタク性分が、手癖のように復活してきているのを感じていた。

そうしている頃だった、「14歳の栞」という映画を見たのは。

2年6組というクラスに在籍する14歳 35人にひたすら記録した映画。作品の中では次々に、14歳の心境が吐露されていく。必ず観た人はみんな思うだろう、「あれは私だ」あるいは「あれは(自分の中2のクラスにいた)あいつだ」と。これは見る映画じゃなくて、自分を重ねる映画なのである。

私も例に違わず、自分と同じ"キャラ設定"の話をする子や、クラスの友だちを冷静に見つめる子に共感したりした。けれど、一番わたしの視点を広げてくれたのが、”帰宅部の子たちの放課後”の姿だ。そこには私と同じ、"ただの14歳のわたし"を楽しむ子たちが居た。

「何でこんなカンタンなことに気づかなかったんだろう」。

当時は、自分だけが周りの同級生にはわからない音楽やアニメや文学を楽しんでいると思っていた。だって、BUMPの話なんて誰ともしたことがなかったのだ。けれど映画の中で、35人分の放課後を見て、あの頃の友人たちにも全員放課後があったのだとやっと気づいた。同級生たちも自分と同じように、こっそり放課後の"ただの14歳のわたし"を楽しんでいたのである。私は学校にいる彼らのことを"陰キャラの人"や"陽キャラの人"としか見ていなかったけれど。

毎日ドラゴンボールの絵ばっかり描いてたあいつも、メールアドレスに日本語ラップのリリックの一部を入れてたあいつも、「キノの旅」を貸し借りしてたあいつらも、個人ホムペにポエム書いてたあいつも、何故か理科テストで天体の点数だけ高かったあいつも。きっと、自分だけの、"ただの14歳のわたし"によるとっておきの放課後を満喫していたのである。

私は、当時の自分の視界のあまりにも低い解像度を恥じた。あの教室で起こっていたことのほんの一部しか知らなかったことに思いを馳せた。そして、14年経ってやっと、クラスのカーストという幻想を捨てて、当時の友人たちのことを見つめられた気がした。あまりにも恥ずかしい話だ。

ただ、こんなに情けないのにも関わらず、それを知って、それならばもっとどんな人とでも、"放課後の話"をしてみたい、と思うのだった。

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あの頃をやり直すことなんてできないし、やっぱり窮屈なあの頃になんて戻りたくない。けれどせめて、やり直す代わりに、これから出会う人達には「カースト」だとか、あるいは「勝ち組」だとかそんなつまらないフィルターは取り除いて、素直な気持ちで話せる自分でいたいと思った。そうして、お互いに誰かからの見え方なんて気にせずに自分の好きなものの話をしていたい。

ただお互いに、"自分の心で感じたこと"を話したい。あの頃の窮屈さをもはや懐かしいと思える、"ただの28歳のわたし"で。

それが、28歳でやっとあの頃のクラスの姿を発見した私が、14歳のわたしに唯一できることだと思うのだ。

この note は映画『14 歳の栞』の公開を記念してご依頼いただき、執筆したものです。#私が 14 歳だった頃 で、エピソードを募集しております。ぜひご参加ください。



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