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私を「おばさん」に閉じ込めないで

「私、30歳になる前に消えちゃいたいです」

神泉の薄暗い居酒屋で女性4人で飲んでいる時、初対面の若い女の子が耳に髪をかけながら、ビールを片手にケラケラ笑いながら言った。

「ていうか、アラサーになるのも怖すぎ。ずっと24歳がいいのに」

そう言っているのを聞いて、あらゆる気持ちや驚きを飛び越えて、「わあ、こういうのってまだあるんだ」と思った。私が彼女と同じ24歳だった5年前、周りの女性達も、あまりにも軽率にそれに似た言葉をよく口にしていたからだ。もちろん私も、例外ではない。

25歳前後の頃、とにかく30歳という年齢が、タイムリミットのように感じていた。いつか自分が30歳になるという事実に、なぜか傷ついていた。自分の最高にキュートで甘ったれたこの人生の終わりに、刻一刻と近づいているんだ、とたびたび怖くなった。

いつからそんなに歳をとるのが怖くなったのか、もはやわからない。けれど、「30までに結婚しないとマッチングアプリで全然マッチしなくなるから」「20代後半の女性と付き合うのは勇気がいるよね」「ババアになって劣化した」「歳相応の」「おばさん」みたいな言葉を、たとえそれが自分に向けられたものでなくとも、知らない間に浴びている間に、気づけば30歳以降、きらきら輝く自分を想像できなくなっていたことを思い出す。

せめて、みんなが思う「シアワセ」は手に入れておかなくちゃ。「私はシアワセな人間だ」という言い訳になる事実を作らなきゃ。結婚して子供を持って、一人前の大人にならなくちゃ。そんな焦りに頭を抱えて、不安をただ吐き出しただけのnoteを書いたこともあった。

今思えば、世の中の「30歳の "(僕たちが認める)普通の" オトナ」という視線を浴びることが、怖くて怖くて仕方なかったんだと思う。

「わかるよ、そんな時代が私にもあったわ」と25歳の彼女に言いかけたけれど、25歳だった自分はそういえば、年上の人間にそういうことを言われるのが一番嫌だった。言葉はいつも、そのほとんどが伝わらない。言おうとしていたせりふをハイボールで喉の奥に押し戻す。

私は今年で、30歳になった。

オトナは楽しい

29歳最後の友人とのランチは、7年ぶりに会う女友達と恵比寿で昼からステーキを食べる、といった予定だった。日本上陸が話題になった有名店。会って早々、彼女が担当するプロダクトをプレゼントしてくれた。私が大好きなブランド。女2人で肉を頬張りながら話したのは、「オトナになるっていいねー」という話だった。

私の場合、特に結婚の予定もまるでなければ子供もいないので、私が以前noteで書いたTBD(まだ決まっていない人生の進路)が決まったわけでもないが、29歳になってみれば、それはそれでこの年齢も心地良い。

振り返ると、さっき記したような20代という時代は、"若さ" という、「期間限定」を過度に訴求された、砂時計の形をした資産を無条件に握らされていたような気持ちだった。砂が全部落ちてしまうのが怖くて、何度か間違いを起こしたこともある。だって、あまりにもこの砂時計が美しいものだから、周りの人がそれが終わってしまうことを悲しがるのだ。砂時計だけを見て、「あなたには価値があります」という人もいるものだから、「この砂時計がなくなったら、私はどうなるのだろう」と不安になったりもした。

だけどその日、「 "若い女の子としての振る舞い" を期待されることもなくなって、楽になったねえ」という話をした。砂時計が終わった後も人生は続く。終わりかけてはじめて、急ぎ足が苦しかったことに気づく。砂時計がない自分も自分だと気づく。

コロナ禍になったことや、時代の価値観が変わりつつあること、あるいは自分がフリーランスになり自分が心地良いと感じる相手にしかほとんど会わなくなったこともあって、「他人に干渉される」機会はめっきり減った。すると気がつけば、歳をとることも昔ほど怖くなくなった。

年齢を重ねながら、自分の苦手や得意や好きなものを見つけてこられたということも、「普通のオトナ」を期待される恐怖が薄らいだ理由の一つだろう。居心地の悪い夜や、憂鬱な休日や、失敗を後悔する一日を超えて、自分にとって心地よい毎日とは一体何かを徐々に理解し始め、他人のまなざしに負けない自分の意志を持てるようになったのではないか。今は別に、周りに何を言われようと「でも、自分の毎日が気に入ってるからこれでいいや」と思えるようになった。

そういえば先日ひさしぶりに、「女は20代までに子供を産まないと」というセリフを真っ向から言われた。「お前、私の年齢知ってるだろ」と思いつつ、冷静に「この人は私を傷つけたいのだろうか?大変な人だなあ」と彼女を眺められたのは、そういった言葉に慣れたわけではなく、明確に "私" と "あなた" が別人であるということを理解できるくらいには、自分の理解者として成長できたからだと思う。

私の好きな映画に『Advanced Style』がある。写真集もあればInstagramもある素晴らしい企画なのだが、そこでは、NYで自分らしい "スタイル" のファッションを楽しむ60歳以上のスナップ写真が紹介されている。

写真集の中には、モデルの1人であるLindaの言葉が紹介されている。

When you are younger, you dress for other people. When you are older, you dress for yourself.

写真集『Advanced Style』

若い頃に誰かのために身体が動いてしまうのは、自分のことをよく知らないし、信頼もできないからだろう。

私も沢山本を読んで、色んな人と話して、面白いと思えるものを探求して、時には失敗もして、やっと "自分のため" というのがどういうことか、わかってきたような気がする。自分が好きなものが理解でき、自分に必要なものが選び取れる、そしてもし選び取れなくたってなんとかなると、やっと自分を信用しはじめているきがする。私はやっと自分の人生の初心者になれたのだと、最近よく思う。それは、恥ずかしいことなのかもしれないけれど、でも、楽しいから良いのだ。

最近の私は、そういった "自分のためのもの" を探求するのに夢中だ。ミーハーだから、時代の流ればかり見てきたけれど、この世界には、私の目に美しく映るのを待っているモノたちがたくさんある。

「おばさん」という言葉に閉じ込められる「大人の女性」

とはいえ、若い女の子たちが「歳を取ることが消えちゃいたくなるくらい怖い」というのは、少々悲しいことではないかとも思う。

その背景には「若い女性」としての人生が終わったら「おばさん」としてのカテゴリに閉じ込められる、そんな考えがあるからではないかと思うのだ。歌手である野宮真貴さんがそんな心境を代弁してくれていた。

日本は「若い女性」と「おばさん」の2択しかないような気がして勿体ないと感じます。その間には「大人の女性」という存在がいます。

https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/maki-nomiya2

先月までカナダにいたが、50代くらいの女性と話していた時、恋バナとして「先日、友達と食事をしていたら『あなた、まだあの彼氏と付き合ってるの?』って聞かれたの。私の彼のこと狙っているのね」と言われて、びっくりして何も答えられなかった。気が付かないうちに、恋愛は若者のものだと思っていたのだ。そして少し羨ましくなった。男女のいざこざも、駆け引きも好きな方ではないけれど、「好きな人」がいる人生は楽しく、 "恋愛"に年齢制限のない世界の毎日は豊かだ。

またある時には、とあるトイレで、真っ赤な口紅をしているおばあちゃんがいて、ぼおっと見ていたら、「可愛いでしょ?」とウインクされた。指先もお揃いの赤いネイル、指にはカラフルな指輪がハマっていた。颯爽と去っていく彼女の後ろ姿に、「私のつるつるした指にはたぶんまだ似合わないなあ」とシンプルに思った。もう少し指が痩せて、はやくああいったジュエリーが似合う女になりたい。「今が一番美しい」ではないものが、実は私たちの周りにはたくさんある。

旅行中、バスの運転手のおじさん(たぶん40歳くらい)が車内で、出発前の挨拶をしていた。20歳くらいのお兄さんを教官っぽい人が直ぐ側に立って、なにやらチェックしている。張り切ってユーモアたっぷりに挨拶する彼はめちゃくちゃチャーミングで、新しいことに汗かきながら挑戦していて、ふと、「なぜ私は大人になったら『新人』になるのがこんなに怖かったのだろう」と思った。

NYにいるビリギャル本人こと小林さやかさんもVoicyで語っているが、海外では、年齢なんてどうでもいい。年齢なんて誰も気にしない。面接でも年齢は聞かれない。

オトナになると、 "おばさん" になると、今みたいには暮らせないのだ、なりたいものにはもうなれないのだ、とどこかで思っていたけれど、本当は、歳をとったって、もっと自由に生きれるのだ。

何歳からでも、何にでもなろうとしていい、どう生きたっていい。

おばさんが楽しい社会は明るい

私の好きなPodcast『News Connect』で、"スタートアップに投資するよりも、子供の学費を無料にすれば、起業や転職など、オトナがもっと自由に生きることができるようになって、経済が活性化するのではないか?"という内容が話されていた。

制度はもちろんだが、精神的にも、もっと日本のオトナは自由になったほうが、世の中は元気になるのではないだろうか。女性を「おばさん」に閉じ込めないほうが、社会のためになるのではないだろうか。きっと、「おばさん」が人生を楽しめる社会は、明るい。(私が女性だから「おばさん」というけれど、もちろんおじさんも)

30歳を超えてから、新しい何かに挑戦するオトナを見ると、「寿命がのびた〜」と思うのは、心のどこかできっと、30歳前後で、自由に人生を選べる "コドモ" の自分をころしてしまうからだろう。

いつでも新しく決められる、新しく舵を切れる人生は楽しい。

だから、少しでも、楽しそうな "大人の女性" になりたいと思う。見たことがないモノは目指せない。大層なことはできないかもしれないけれど、楽しく。妹たちのような若い女性が "30歳が楽しみだ" と思うように。そして何より自分が "30代になってよかった" と思うように。

やっと、自分の好きなものを理解してきて、毎日が楽しくなり始めた。やっと、興味を持てることが広がってきて、人生が豊かになり始めた。やっと、経済的にも余裕が出てきて自分の人生が手元にあるような気がしてきた。

人生がTBD(まだ決まっていないことがある)?そんなの一生そうでしょ。それが楽しいんじゃん。まだまだ決められる余白があるってことじゃん。大丈夫、どうなっても、私ならきっと楽しめる。

私はもう、わたしを「おばさん」という言葉で閉じ込めない。これからも、いつも新しく人生を始められる、私でいたいと思うのだ。


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