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アドラー心理学入門講座に参加して/劣等感と補償、さらには自立

私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人の理事長兼支援者です。10年近く前、ある事件をきっかけにして自分の人生の見直しを始めました。その中で出会ったのがアドラー心理学です。また、その後アドラー心理学を学ぶために参加した早稲田大学エクステンションセンター中野校での出会いと経験が私の人生の後半に大きな影響を与えました。ひさしぶりに中野校でアドラー心理学の講座がありました。そこで学んだことを日々の実践をふまえてふりかえります。

講義風景

今日は、劣等感と補償について書きます。私たちは理想とする自分像があります。その理想の自分と今の自分を比べると今の自分は劣っています。そのときに抱くのが劣等感です。また、この劣等感は成長の鍵になります。理想の自分になるために劣等感を克服しようとするからです。この努力を補償と言います。

私の劣等感と補償

まずは、自分のことを書きます。私は、自分の仕事に真摯に向き合うことを心がけています。それは専門職として守らなければならない倫理綱領に記されているからというだけではありません。私は、今の仕事を失うことへの恐怖感を持っています。今の仕事を失うと他の仕事に就けないような気がしています。

私は、子どものころから極端に運動能力がありません(運動能力の劣等性)。俗に言う「にぶい」とか「運動音痴」というやつです。体育の成績はいつも1でした。また、アトピー性皮膚炎があります(器官劣等性)。そのため汗をかくことが苦手です。運動能力がなく汗をかきたくないので、まったく運動をしないで大人になりました。体力がありません。本当はもっとハツラツと活動したい、でもできません。そこに劣等感を持っています

今の仕事は、事務仕事と相談業務です。幸いにさほど体力使わずに働くことができます。だからこの仕事を失うと他の職に就けないのではないかと不安です。そのため、この仕事で社会の役に立つ、より専門性を高めて必要とされる支援者になろうと思っています。これが補償です。

劣等性は客観的な事実、劣等感は私がそう感じる主観的なことです。その劣等感を克服するためにがんばるのが補償です。

支援場面における劣等感と補償

次に、私の仕事である障がいのある人への支援場面での話です。私が経営する社会福祉法人では、障がいのある人(利用者)が日中に活動する事業所があります。そこでは創作活動や企業の下請け等の活動をします。わずかですが収入があり、それが利用者の工賃となります。

ある一人の利用者の話です。その利用者には知的な障がいあります。パソコンを使ったり一般的な事務仕事ができません。しかし、体力があります。その利用者は、毎日、ダイレクトメール便の配達をしています。配達物が多い日は、午前も午後も歩いて配達に出かけます。この酷暑の中です。私にはその体力はありません。毎日、事業所の玄関で無事に帰って来てくれと見送るのが精一杯です。

猛暑、酷暑の中、配達へ

猛暑、酷暑でも誰かがこの仕事をしなければ社会が止まります。また、この利用者がダイレクトメール便で成果をあげることで事業所は企業からその仕事を受けることができます。他の利用者の役に立っているということです。

ただし、その利用者はダイレクトメール便の届け先を正確に読むことはできません。支援者はそこを手伝います。すべてを一人でおこなうことだけがいいことではありません。自分の力で良くなる、良くなろうとすることがだいじです。これが補償です。

補償と自立

事業所の利用者は障がいがあり、自分一人で得意を探すのが苦手だったり、自分一人では成し遂げることができないことがあります。人それぞれ課題があります。それを支援者の手を借りて実現させます。もし、このときに支援者がダメ出しばかりをしていると、利用者は劣等感から抜け出せず、劣等コンプレックスになり自発性が損なわれます。支援者が勇気づけをすることで、利用者は自分の強み・ストレングスを活かして自分の生活を良くしていきます。それが補償です。

福祉業界では「自立」という言葉を使います。しかし、支援者によって「自立」の解釈が異なり、それが利用者の人権侵害になることがあります。支援者の理想を押し付ける場合です。そこで、私はこの補償の考え方で自立を説明します。自立とは自分で自分の課題を解決しようとする勇気、それを勇気づけするのが支援と言えるのではないでしょうか。

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