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「ご感想への返信2023」No.25

もともとセクシュアリティについては興味があり、講義全体として非常に興味深い内容でした。質問として、私自身は自分のことをヘテロセクシュアルだと思っているのですが、自分がまだ経験がないだけで例えばバイセクシュアルの可能性もあるのではないかと思います。自分の性については何かしらの経験を持って自認するものなのか、それとも違うのか。はたまた誰しもが、いつでも性自認が変化する可能性を持っているのか。についてお聞きしたいです。

学生の感想から

 ご質問ありがとうございます。「人生を通じてセクシュアリティが変化するか」という質問内容として、私なりに回答を試みます。ちなみに質問文中後半で「性自認」とあったのですが、全体から性的指向についての質問であるようなので、性的指向について書きます。


抑圧は最初、少数者の問題として発見されるもの

 被抑圧はマイノリティの話として発見され、またそのように語られるものですが、例えば「シスジェンダーとして自認が揺るがないこと」や「性的対象が常に異性でなければならないこと」「結婚すること」「出産すること」等の社会生活上の規範や期待は、等しく誰の上にも伸し掛かるものです。それが苦にならない(個人の希望として心に馴染み、選択できる)人も多いので意識されにくいですが、少なくとも「性的少数者にならないこと」という禁止はあったと意識できるのではないでしょうか。あなたはただシス‐ヘテロである面を肯定され必要な養分を与えられるだけで育ったのではない。「社会から排除されるモデル」を示され、恐怖心を与えられながら育ってきたのです。性的少数者への軽蔑や偏見さえ、性的少数者にならないためのいわば「ゲイ・ワクチン」だった。そういう意味では、誰がこの社会ですくすくと育ったのだろう、という気がします。だから性的自己決定がシス‐ヘテロにとって苦もないものだったという語られ方には、私はつねづね懐疑的なのです。植木を育てるのに添え木をするようなことが人に対して行なわれる。そして実際に「セクシュアリティへの気づきが遅れる」という経験をしてきた人々も、当然/やはり存在します。


 私のメール友達は40代のシス‐ヘテロ男性で妻子もいますが、少年期から年長の異性と性的な関係を多くもっていました。その生活が成人して30代になるまで続いた。結婚してからは妻だけになりましたが、同性にも性的関心を抱くことが自覚され始めた。具体的には他人のペニスが勃起する様を見る、自慰行為を見る、射精を見るということに性的興奮をおぼえる。しかし接触や恋愛は望まない/したくない。「異性8:同性2」くらいのバイセクシュアルかもしれないと思うし、そうであれば一般論としては今後「異性6:同性4」程度に「変化」する可能性もあるけれども、「同性に対してアロマンティック・アセクシュアル的」であり当人の実感としてはシス‐ヘテロなのです。
 また別のケースとして、妻を寿命で亡くした後の高齢者が、思いがけず同性と「夫婦同然の感覚をもって」暮らすようになったという話も聞いたことがあります。私は会えなかったので詳細をヒアリングできなかったのですが性的関係もあったということなんですね。そして明らかに夫という意識があった。
 一方で変化が訪れない「100%同性指向」「100%異性指向」という人たちがいるけれども、その両端の「間に位置する人たち」には人生を通じての変化を実感として「経験する人もいる」しそうした報告も確かにある。ただし彼らには元々バイセクシュアルやパンセクシュアルだった可能性があるわけです。セクシュアル・フルイドのように流動性を経験する人もいますが、それ以外の多くは「変われなさ」を感じている。ある個人が変化とも呼べるようなセクシュアリティを生きたからといって、そうした「変化」が他の個人に起きる可能性があるかというと、ないと言わざるを得ない。それより誰もが「性的少数者であることを禁止されるという抑圧を経験していて」気づき年齢に個人差が生まれるという側面を思わざるを得ない。自認には様々な「禁止」がまとわりついていて、性行動や性的決定を誘導する(シス‐ヘテロ化させる)仕組みは社会に溢れているからです。だから「変化」という「経験する人がいるかもしれないもの」をまるで誰もが生まれ持った可能性であるかのように期待させるその言葉を用いて語ることの危険を、思います。


変化を求める心は偏見を許す

 この話は本当に語り方が難しい、センシティブな話題なのです。変化の余地や可能性がフラットに受け止められることはなく、コンバージョンセラビーなど性的少数者への抑圧に結び付くリスクが常にあるからです。また、「親の期待」に代表されるようなそれら社会からの要請に応えようとした性的少数者が、自分の人生を変えなければならないと思い詰めることがあるのです。例えば私は異性に対して性的な欲求が全く生じないにも関わらず「いつか結婚しなければならない」と考えていたし、予備的行動として異性と性的関係を結んでいた時期もあります。それはシス‐ヘテロが「性の冒険」の一環として同性と性的行為をする経験とは全く異なる意味合いをもちます。異性愛者による同性間の性行為というパターンではおそらく「義務としてそうしなければならないと思ったから」という理由はほぼ出て来ないのではないでしょうか。おそらく「興味・関心」が理由の上位になるでしょう。しかし同性愛者は来るべき「異性」婚に備えていた。同性愛者を人口比5%とみて「50歳時未婚率」(生涯未婚率)が2%だった時代があったことを考えれば、どれだけ性的少数者が社会から「変化/転向」を求められていたか分かるでしょう。それは50年前のような話で200年前の話じゃない。そして現在の日本で約28%の男性が未婚である理由は「同性愛者が生きやすくなったからではない点が」問題だと思います。今も「社会が/個人が」変化を望んでいる、そういう気分が切迫したものとしてある。その社会の部分はせめて軽減されなくてはならないのですが、まだそうではない、と感じています。

安全が保障されない状況において、認知や語りは抑制される

 性的少数者の中でも早く存在を知られた同性愛者は歴史的に様々な抑圧を受けました。死刑や禁固、ヘイトクライム、人体実験でしかない「治療」、転向療法。そうした中では支援者がナラティブを支えることはもちろん、当人が自認することさえ困難です。私だって目の前でゲイが次々と殺され、次はお前の番だと言われたら踏み絵に応じ「変化した」と語るかもしれない。

 こうしたことは過去の、あるいは海外の話にされてしまうことが多いのですが、日本でもごく最近、トランスジェンダー攻撃が起きたことは記憶に新しいでしょう。
 そうした環境下では本人もむしろ率先して自認を否定することがあるし、ナラティブに使われる口語表現もそのまま受け取ってよいか分からない面があります。同性愛者にヒアリングするとき、個人における気づきの困難を考慮した上で語っている人は(私がゲイコミュニティにいた頃は)多くなかった。「気づき年齢」の時期を「性的指向が変化した時期」のように語るケースもあると考慮しておかなければ、皆さんは非常に多くのトランジションが起きているかのように感じると思います。しかしアイデンティファイする困難や、自覚/自認の困難、語り言葉を得る困難は、アイデンティティの確立を阻害するし、人生の選択も捻じ曲げる。5歳で自覚した私のようなゲイもいれば、40歳やそれ以上の年齢になって自覚する既婚者もいる。自分がゲイだと知りながら、将来は異性と結婚しなければならないと考えている20歳もいる。誰でも人が強く立ち上がる物語が好きだけど、そうした皆さんの「思い」とは別のところに多くの抑圧があって、表現はいまだありのままではないかもしれない、押し込められ歪められているかもしれないのです。言葉は解放され、選択され、成熟しているだろうか。心はどうだろうか。
 それは現代を生きる学生として考えておくべきことですね。

 知っていますか。
 性的少数者は(多分誰でも)自分の中に育っていた価値観に牙を剥かれる経験をするのです。それは咬みついてくる。こう生きるべきだ、こう生きられるというような世間の価値観に適合しない自分をスムーズに受け入れるわけじゃない。社会との断絶は自分のセクシュアリティを受け入れるのとは全く別の、しかし切り離せない経験です。自分が何者か分かった後に感じるのは高揚感とは程遠い恐怖かもしれない。誰もがすぐ向き合えることじゃなく個人差がある。――自分でするフタもあれば、出かける度につまづく石もある。誰かが作った壁もある、ということです。心が呼びかけることも身体が出しているサインも無視してしまうのが、人です。

ナラティブを聴く「準備期」

 息子からカミングアウトを受けた母親は、準備がないままにカミングアウトを受けることのリスクについて次のように想像しました。

もしかしたら無知から治療の可能性を考えたかもしれませんね。治療などの方法はないし、そもそも治療することじゃないと、私たちは気づけたでしょうか。

カミングアウト・レターズ 子どもと親、生徒と教師の往復書簡

 前進を個人の許容量や共感力というようなものに頼り押し付けるのではなく、「社会に」その役割がある。制度や、教育や、駆け込める/安心して憩える場所があること。そういう準備が社会にあって、人は語り始める。今は無理をしている感じです。人々が様々な制度に守られたとき、実態はありのままに見えることでしょう。
 今は、語られ始めるであろうナラティブを受け止める準備期なのだと思います。もちろんそうしたニーズを掘り起こし明確化するにはナラティブを聴かなくてはならない――社会の成熟もナラティブ(語る/聴く)の習熟も、並行して支えて行かなくてはならないのでしょう。それを新しい均衡のためであると、言ってみたい気がします。

 だから「人のセクシュアリティは変化するのか」という問いは講師を悩ませるし、長い長い説明を要するのです。一問一答みたいに答えられることじゃない。それはセンシティブで、とてもとても丁寧に扱わなければならない事柄だからです。

バイセクシュアルかもしれない、と思ったら

 例えば同性との出会いや恋愛/性愛の経験は、答え合わせ代わりになるでしょう。しかしそうしたものがとりわけ象徴的な「自己確認」「自己肯定」の手段になることがある点もその効果も否定しませんが「それだけのこと」だし、場合によっては否定したくなる理由になることもあるでしょう(そういう落とし穴もあります)。「経験」が自認を確信させるに足るものであるかは分からない。他者との関係性は「誰と出会うか」「どのような出会いだったか」だとも言えるわけですから、そこに自分の判断を部分的にでも委ねるのではなく、あくまでも自分の気持ちに答えを探しましょう。あなたには知識がある。知識は自分の背中を見る鏡です。「自分を知るのに誰かに教えてもらう必要はない」ということです。

 「異性伴侶を寿命で亡くした後、思いがけない出会いを経てその後の人生を同性と夫婦同然に暮らした」というような話の「高齢になるに従い同性に対する抵抗感がなくなって」というような語りを聞いて、その表面的な「変化」についてのみ着目するのは正しいでしょうか。それこそ生涯未婚率2%というような時代を生きていた世代に、正確に自分のセクシュアリティを語る言葉があったかどうか。自分を判断するに十分な情報があったかどうか。それは分からない。私には「あったと思えない」。彼らのそうした実感が修正される必要はないけれども(大きなお世話だと思う)、やはり時代を追って分かってくることがあるし、社会「が」変化しなければ見えて来ないものがあります。おそらく人はいつか自由に語り始める、でも「今」じゃない。


 だから今は、こういう言い方が穏当なのかもしれない。

 多くの個人は、実感として固定的なセクシュアリティを生きるでしょう。多くの異性愛者にとって、同性との性的関係はギフトのようなもの。喜びを見つけるかもしれないし、意外と望んでいたものじゃなくて失望するかもしれない。いずれにしても可能性を探しに行くものじゃないと(私は)思います。セクシュアリティではなくて「喜びを見出す可能性はある」という意味においてなら誰に起きても不思議ではないけれども(抱擁は温かいものだと思う)、それでも誰にでも可能性が開かれているかというと言い過ぎかなあという気がします。

 シス‐ヘテロが20歳を過ぎて考えるならば「自分のセクシュアリティが変化したらどうするか」ではなく、子どもをもった時に「自分の子や孫が性的少数者だったらどうするか」考えておくことだと思います。それでほぼ大丈夫ではないでしょうか。もちろん40歳になってから自分がバイセクシュアルだと気付くこともあるかもしれないけれども、その時に自分を憎まずにいられれればいいのです。個人においては、そういう心の準備があればいい。

 もしセクシュアリティが変化するものだったら、私はシス‐ヘテロに変化することを望んでいたのだから、そして異性との行為も試してみたのだから、シス‐ヘテロになっていたはずです。でもそうはならなかった。マスターベーションの度に自分を憎んでいた10代の頃は、やはり幸福ではなかったと思い返す。今の私には同性と体温を分け合う優しい時間があって、ただ「悩めと言われていただけ」だったのだと、こちらが自分用のプログラムだったのだと分かる。個人の人生に「変化」はあってもいいものだけど、社会から向けられる「変化への期待」が心を押しつぶしてはいけない。押し付けられたら絶対にいけない。それだけは、本当に大事なことだから覚えていて下さい。


 

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