「クローゼットは戻れる生家ではない」というタイトルで、ここ数日、記事を書いていた。「自分はゲイとして恵まれた。ラッキーガイだ。だから寄与しなければならない」という一文がその中にあった。
しかしさっき、ついさっき、KOHSUKE さんのこの記事を読んだ。
そこにはこんな「実感」があった。一部引用させていただく。
この記事を読んで、そうだよなって思った。実際、よく分かった。
おれの記事は、日の目を見なくていいや。KOHSUKEさんの記事が読まれるべきだ。おれはまた別に書くだろう。元の文章でもなく、KOHSUKEさんに引っ張られるのでもなく、どちらも消化した上で、その日に思うことを。
不可逆で二者択一的なカミングアウト問題。そんな選択をした後で、ココロは他人が思うほど割り切ったモンじゃない。平気です問題ありません、と言わざるを得なくなる場面もある。それで気づけば何か目減りしてたなんてこと、やっぱりある。そういう現実をどこか見えないところに押しやるんじゃなくて大事に書いているから、KOHSUKE さんの記事には他にない魅力がある。ああ、おれの御託はいいや。あっち読んで下さい。よし寝る。