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ホモフォビックなコーヒーはいかが

 このSNSを始めて性的少数者に対してアンチな人たちの言葉に今までになく触れるようになった。もちろんそれが社会なんだろう。でも、「おれに会えばいいのに」と思う。会うよ全然。いいよ全然。コーヒーでも飲もうよ。


 あなたがそこで体験するのは「洗脳」じゃない。生身の、呼吸する、感情がある、実在の人間を見ること。私は性的少数者についてあなたに語ったりしない。きっと私は仕事帰りで疲れているから議論にも乗らない。義務がないので意見も言わない。レクチャーなし、アドバイスなし。ただコーヒーを一杯飲む間だけ目の前にいて、あなたの話を聞く(飲んだらとっとと帰る。腹減ってるだろうし)。ゲイの悪口を言うならそれも聞くけど、条件はある。――「絶対にゲイ以外の誰も傷つけない表現であること」。それだけ。この唯一の条件が破られたなら、私は即座に席を立つ。

条件は「絶対にゲイ以外の誰も傷つけない表現であること」。女性、不妊の人たちや単親家庭、ステップファミリーや養親家庭、障がい者とその家族、働けない人、在日、部落、少数民族、――マジョリティも含めて、「誰も」傷を負わない表現でゲイの悪口を言うのであれば耳を傾けます。それはきっと、聞く価値がある言葉だから。例えば「あなたたちはマイノリティと言うべきではない」もダメです。それは「アイデンティティを獲得し十全と生きようとする人々の運動を脅かす機運につながるので」ダメです。分かりますよね。他の誰ひとりとして尊厳や権利を奪われないよう、ゲイがなぜ権利を奪われなければならないのか私に教えてください。

この意図に共鳴し、それでもゲイについて言いたいなら、襟を正して聴く。むしろ聞きたい

どこかお互い、会えないと思い込んでないだろうか。
私は、お互い人間だってちゃんと感じたい。


 撮影や録音は勘弁してほしいし、別れ際にはお互い「ありがとうございました」とは言うものだと思うが、それは条件以前に常識だ。私たちはコーヒーショップで向かい合い、一杯のコーヒーを飲み終えるだけの時間を共有する。私についてのどんな話も私はコーヒーの香りを楽しみながら聞ける――人の尊厳と権利を決して損なわない言葉でゲイが社会悪であると私の目を見ながら説けるならあなたは非常に賢いし、きっと楽しい時間になるだろう。


 懸念としては、……画像でも「ヘイト」タイトルでも「ホモフォビア」を使っていて、「ああこれは自分じゃないや」と思う人が多いかもしれない。「ヘイトじゃないですよゲイの友達もいます」とか、「嫌悪を病気のように言うべきではない。これが正当な感情だから」など、自分はその枠じゃないから関係ないと思うものかもしれない。ヘイトは前提として自己認識上の困難を抱えていると予測している。そうした自認の困難に加えて、きっと「ゲイを実在の人間ではなくイメージにとどめておきたい」人もいるだろう。

 つまり私が会える人は、「自分がヘイトであると(ある見方によってはそう見られると)自認している」ということになる。他の差別問題でも自分が差別している側だと認められる人はとても少なかったわけで、これは非常に難しい試みなのかもしれない。「コーヒー飲むだけ」というハードルの低さなら、会えるだろうか。会えないだろうか。やってみないと分からない。


 いいんだよ、何も言わなくても。「今日はずっといい天気でしたね」でも趣味の話でも。会うことが必要なんだと思う。実際やってみてやめたくなるかもしれないし(すみません)、ひとまず「3月限定」で。あ、東京です。

 

 

 



 

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