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【小説】第9話『氷点下の挑戦(全14話)』

【注意】この小説はフィクションです。

登場人物は架空の人物であり、登場する場所や、小道具などは、実在したり、しなかったり、ユーモア小説としてお楽しみください。(全14話)です。
本日、第4話〜9話まで、公開。

明日、10話〜14話まで予定。

よろしく、お願いします。

 ―1ヵ月後―

 アパートの床に積み上がる本と赤字の入った校正原稿の山の間で、髪は脂ぎって乱れ、頬と顎は不精髭が伸び放題の金城が、右を向き丸まって死んでいるようかのように眠っている。

「金城さーん! 留守ですか? 来月には水道止めますよ~」

 金城は、ピクリと、薄目を開けるが、身体に力が入らず思うように、声も出ない。

「まったく、1ヵ月も不在で連絡もしないなんて……」

 玄関の向こうで、郵便配達員が、不満を漏らして帰って行く。

 玄関に掛かった金城自慢のスーツの肩口に蜘蛛の巣が張っている。

 台所には、塔のように三棟、カップ麺の容器が重なる。

 金城は、擦れるような声で、「み、水……」と呟き、手を枕元のペットボトルに手を伸ばした。震える手でボトルを掴み、水を飲むと携帯が鳴った。

 ブ―――!

 ブ―――!

 ブ―――!

 金城は、寝返りを打って、左手の携帯電話に手を伸ばす。

 玲子からだ。

 金城は、震える手で、電話に出る。

「はい……」

 声は、擦れて、書き消えそうだ。

「ああ、よかった。金城さん生きてた。やっぱり、私が、電話代の支払いだけは請け負ってて正解だった」

「な……に……」

 金城は、生気を失ったように、言葉にならなかった。目を閉じると、頭の中で自分の無力と脱力感が渦巻く。しかし、玲子の声が彼を引き戻す。「まだ、終わってない。頑張らなきゃ」と心の中で呟いた。

「金城さんのことだから、執筆に入ると、寝食も忘れて仕上げたんでしょう。分かってるから、2週間に一回食料を送ってるのに、始めの2週間だけ受取って、後半の2週間は不在で受け取らないなんて、ちゃんと、食べてるんですか!」

「た……べ……た……、……い」

「金城さーーーん! 起きて、今日、食料受け取って下さい。それと、一緒に、新大阪ー東京の新幹線のチケット送ってますので、明日の10時に、文芸夏冬の本社まで来てください! とにかく、金城さん、生きてください‼」

 と、電話を切った。

 金城は、重い体をなんとか持ち上げて、立ち上がり、まずは、台所へ行く。蛇口を捻ると冷たい水が勢いよく流れ出し、彼はその水を直接喉に流し込んだ。冷たい水が喉を潤し、少しずつ生気が戻ってくるのを感じた。

 少し、生気の戻った金城は、玄関に着いた新聞受けに溜まった不在者表の束を掴んで、一番日付の新しい1日を掴んで、電話をかけた。

 ―翌日―

「9:55」

 心なしか、少し頬が削げた金城が、背後に皇居が見える東京の文芸夏冬本社、編集部のオフィスに顔を出した。

 三ツ矢サイダーの広報担当・平野と玲子が、立ち話している。玲子は、入って来た金城を見つけて、平野の話を一旦断ち切って、金城に駆け寄った。

「土産買って来た」

 と、金城は、手荷物の尼崎ご当地スイーツ「庄谷のシュークリーム」を持ち上げて、玲子に渡した。

 玲子は、面窶《おもつ》れした金城が心配で、「こんな、余計な気遣いはいいのに、あなたって人は!」と、小言を言いながらシュークリームを受け取った。

 金城を見つけた平野が、軽く、眉を寄せながら近づいてきた。


「金城さん、遅いですよ。クライアントより先に準備して待つのが社会人の常識ですからね」

 と、いきなり、手厳しい言葉を投げかけた。

 すると、玲子が、間に入って、平野に頭を下げた。

「すみません平野さん、私のミスです。金城さんは、悪くありません」

 平野は、不満そうに、ブツクサ小言を言う。

「担当もこれだから、作家の仕上げた小説も商業性に欠けるんだよ。まったく」

 半分眠ったような目をしていた金城が、目を覚ました。

「平野さん、でしたっけ? 私の小説に何か問題でも?」

 と、尋ねた。

 平野は、手厳し口調で。

「主人公が、無双する。派手はシーンが足りない。もっと、「氷点下三ツ矢サイダー」を前面に出せ!」

 と、不満を金城に突きつけた。

 言い返そうとする金城を、「まあまあ」と玲子が宥《なだ》めて、平野に反論する。

「平野さんのご指摘は、ごもっともです。ですが、小説の中で、未来ちゃんはとても可愛らしく描けてて、なにより物語が、家族の絆や、未来ちゃんが夢を追いかける姿が感動的です。それに、仕上がりが早い。それだけは担当編集者として自信を持って言えます」

「チッ!」

 平野は、舌打ちして言った。

「まあ、ヒット作をたくさん受け持つ敏腕編集者の高橋玲子さんが、そうおっしゃるならウチとして文句は言いませんが、もし、この企画が失敗したら、責任はあなたと金城さんにとってもらいますからね!」

 と、鼻息荒く吐き捨てて、イスに置いたカバンを引っ掴んで帰って帰ろうとして、引き返して金城に一歩近づき冷たい目で見下ろした。

「あなたの作品が失敗したら、私達全員が困るんです。わかってますか?」

 金城は、平野の言葉に反論しようとしたが、喉が詰まって声が出なかった。

 すると、平野はむくれて、「いいですね!」とプイっと踵を返して出て行った。

「あれ、なんや?」

 金城が、表情も変えずに、玲子に聞いた。

「すみません、金城さん、クライアントですから……、とりあえず奥で詳しく話しましょうか?」

 と、会議室へ案内した。

「お待ちどうさまです」

 会議室に出前が持ち込まれた。

 玲子が、イタズラっぽく笑った。

「金城さん、昔、一度は池波正太郎の愛した『てんぷら近藤』食べたいってお仰《しゃ》てたでしょう。ご褒美に用意しました」

『てんぷら近藤』は、昭和の文豪が愛した神保町の「山の上ホテル」で、てんぷらの味を作った板長の店だ。現在は、建て替えのため閉館しているが、敬愛する池波正太郎始め、昭和の文豪が愛した味を一度は味わいたいと、金城は思っていた。

 実際は、板長が、一品、一品、油で揚げたてんぷらを、カウンターで食わせるのが本筋なのだが、如何せん有名すぎて予約も取れない。本来、出前すらもっての外だが、ここは天下の文芸夏冬、昔馴染みのコネを生かして用意してもらった。

 命を削るほど無理をした金城への玲子の最大限のねぎらいだ。

 ベールのように薄い衣の海老《えび》、茄子《なす》、カボチャ、オクラ……、金城は、割りばしで一品、一品、目を皿のようにして観察してから、「これかー!」と唸るように頬張《ほうば》る。

 金城は、天にも昇るほど幸せを嚙み締めた。昭和の文豪と同じ物を食べるという夢が叶った。「これを食べながら、あれも、これも、仕上げたのか」と一口一口を大切に味わった。

「ごちそうさまでした」

 礼儀正しく、金城が食べ終わると、玲子が提案した。

「平野さんが、仰しゃった手直しは、後にして、確か未来さんのグループ『Tropical Breeze』のライブが、東京国際フォーラムであるから、プロデュウ―サーの紗枝さんが、なにかアイデアのヒントになるかもしれないから、せっかくですから、お越し下さいとおっしゃっていました」

 金城は、めんどくさそうに、頭を掻いた。

 辺りは、一筋の光もない漆黒が広がっていた。

 スピーカーから、鼓動のようなサウンドが会場に響き渡る。

 ステージに、照明が向けられる。

 割れんばかりの歓声が沸き起こる。

 7人のアイドルグループ『Tropical Breeze』がステージに駆け出した。

「行っくぞー!」

 金城は、客席の一番奥で、ポツンと、ステージを眺めていた。

 すべてのステージを終えた未来が、アンコールにメンバーとステージに戻って来た。

 未来は、天の川銀河のような客席を今にも泣き出しそうに、唇をかみしめて涙を堪え、マイクを握った。

「皆さんに、うれしい発表があります。私、涼宮未来と『Tropical Breeze』タイアップのCM『氷点下三ツ矢サイダー』さんとコラボした原作小説との映画化が決まりました。今日は、原作の金城星司さんも見に来てくれてます」

 スタッフが、金城にマイクを持ってくる。

 未来が「金城さん、なにか一言!」

 金城は、『Tropical Breeze』のために集まったファンの視線、すべての注目を集めてしまい、引っ込みもつかない。金城はスポットライトに照らされ、観客の視線がすべて自分に向けられてるのを感じた。心臓が激しく鼓動し、手のひらに汗が滲《にじ》む。

「あ、どーも、売れてない作家、金城です……」声が震え、言葉がとぎれとぎれになった。

「ベストを尽くします。以上!」

 と、手のひらをステージにひっくり返して戻すと、『Tropical Breeze』の最大のヒット曲『かわいい私のヒミツ』が流れた。

 金城は、大きく深呼吸をし、心に新たな決意を抱いた。

「まあ、一丁、やってみるか」と、金城の目には再び光が宿っていた。

 つづく

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