で、結局「キャリア教育」って何なの?【Part1】
先日、学校の先生向けにキャリア教育の勉強会を開催しました。今回は、その様子を一部レポートにしてお届けします。今回は、「なぜ、いまキャリア教育なのか?」について考えたいと思います。
1.〇〇〇〇〇する人の母校にしたい
まず、勉強会に参加した皆さんに「〇〇〇〇〇する人の母校にしたい」という問いを投げてみました。
「幸せ」「世のための貢献」「社会を変革」「自分らしく」などなどのキーワードが出てきて、そこから対話が生まれました。
「〇〇〇〇〇する人の母校にしたい」という問いから始めてみる。逆算的に「そういう人を輩出するためには、どんな取り組みが求められるか?」と発想してみることで、その学校らしいキャリア教育の在り方を見つめるヒントになります。
ちなみに、元ネタは「本気で挑戦し自ら道を拓く人の母校」を掲げる札幌新陽高校です。
2.キャリアとは?
「キャリア教育とは?」と聞かれれば、職場体験やOBOG講演会!が真っ先に浮かぶ人も少なくないでしょう。もちろん、それらもキャリア教育の一部ではあるのでしょうが、あくまで一部です。また、イベントで終わってしまってはもったいありません。
そもそもキャリアとは、何でしょうか。
・・・何かと小難しい定義ですが、キャリアにおける発達理論を提唱したD・スーパーは「ライフ・キャリア・レインボー」と題して、キャリアを端的に「役割」と「段階」の2つの側面として示しています。
つまり、広く捉えれば「キャリア=社会における役割や、プロセス、人生そのもの」とも言えます。
では、なぜ、いまになって「キャリア教育」が重視されるようになったのでしょうか?
3.なぜ、いまキャリア教育なのか?
2019年の国際的な学力調査では、日本の理数系学力は依然高水準を維持してきました。これは、画一的でハイレベルな内容を中心とした「教科・学問中心カリキュラム」の功績と言えるかもしれません。
一方で、(理数系の)「勉強は楽しい」「日常生活に役立つ」「将来の仕事に役立てたい」などの指標は、いずれも国際水準を下回っています。
この結果は、1950年代に「スプートニク・ショック」がキッカケで「這いまわる経験主義」として退けられた子ども中心の「経験主義カリキュラム」が軽視されすぎていることとも、無関係ではないはずです。
J・ブルーナーは、「どの教科でも、知的性格をそのままに保って発達のどの段階の子どもにも教えることができる」として「教科中心」「子ども中心」の二項対立を発見学習によって乗り越えようとしました。
しかし、結局は「詰め込み教育」が問題視されてしまい、教える内容が多すぎて「新幹線授業」なんて揶揄されたこともありました。
いま、高校では「総合的な探究の時間」が必修化し、ドルトン・プランの学校も注目を集めるなど、100年以上前に盛り上がったJ・デューイの経験主義教育が再び評価を集めています。
今回の学習指導要領では、「生きる力 学びの、その先へ」と題して、3つの観点がより明確に示されました。これらは、従来よりも「実社会との接続」・・・つまり、ライフ・キャリアを意識した設計になっています。
また、キャリア教育を推進している学校では、児童・生徒の学習意欲向上を教員が認識しているというエビデンスもあります。
いま、キャリア教育が強く求められるのは、超少子高齢化、終身雇用制の崩壊、グローバル化、テクノロジーの急速な進歩・・・などによる予測困難性の高い社会(つまりVUCA)が背景にあります。
そして、このような状況の社会に未来の担い手を送り出す上では、従来のような「上級学校への出口指導」に終始しないような、より巨視的なアプローチが必要なのです。
デューイが警鐘を鳴らしたような「教科中心か、子ども中心か」という二項対立に再び陥らないようにするために、「キャリア教育」は、イデオロギー対立を乗り越える軸になり得るはずです。
次回は、キャリア教育とは何かを俯瞰して見たいと思います。
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