育休生活、ぶっちゃけどーなの?
育休スタートから2カ月。土日すらほとんどない生活から、急に余白と呼べるレベルではない時間を得ることになった。そんな折、会う人の9割以上に「育休生活って、どう?」と質問されるので、ぶっちゃけどーなの?をシェアしたいと思う。
育休生活によって起こった(起こした)変化を3点に絞って綴る。番外編として、変化と言えば、明らかにカロリー収支がマズい。頑張ります。笑
予め断っておくと、この文章を読み進めるにつれ「オイ、もっと育児しろよ!」というご批判も聞こえてきそうだが、私にとって「教育について考えるな!動くな!」というのは「息するな!」と同義で笑、妻と一緒にダブル育休のチーム戦に励んでいるので、「ワーク・ライフ・カオス」をそっと見守って下されば幸いである。
ちなみに、「なんで育休取ったの?」ということについては、以前の記事で書いた通りである。
変化①子どもを「待つ」余裕ができた
育休前
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育休中
実際に育休生活が始まり、当たり前ながら子どもたちと戯れる時間が圧倒的に増えた。今までは、明日の授業準備を理由に十分に向き合うことを避け、時に「イラッ」としてしまったことも少なくなかったな、と反省してる。
今は、ゆっくり、じっくり、選ばせたり、待ったり、信じたり、失敗させたり。自分に余裕がないと、そういうことは出来ないなと改めて反省した。それは、学校で生徒たちと向き合うときにも全く同じだったはずなのに、余裕なく感情的に接してしまったり、「中学生/高校生だから」と一様にこちらの基準でジャッジを下してしまったり・・・。そうした内省も、余白の時間がもたらしてくれた副産物。
休日も、部活動と授業準備、積もり積もったTo Do Listを一つずつ潰していく予定調和的な過ごし方から、今は家族で海か山か川に行ったり、地域のイベントに参加したり、逆にイベントを仕掛ける準備をして、偶発的に時間を使っている。学校から離れて経験したことや学んだことも生徒たちに還元できると今更ながら気付いたというのは、大変お恥ずかしい話。
@辻堂海浜公園
変化②「本当に」やりたいことにやる
学校の先生はとにかく忙しい。個人事業主的な性格も色濃く、特に授業準備や担任業務、部活動指導のための学びは「これで終わり!」と区切りづらく、勝手に忙しくしてしまっている節もある。
また、中1と高3を相手にするのでは、それなりに異なるスキルが求められるし、どこの分掌・行事を担当するのかによっても、大きく変わる。そういう意味で、学校を含む日本企業はジョブローテーションによって「ジェネラリスト」を生む場にはなっているけど、「スペシャリスト」が育ちにくい土壌であることを痛感する。
そして、これこそ日本全体の生産性の低さを引き起こす大きな要因となっている。例に漏れず、私も自分のスキルが中途半端であることに危機感を抱き、改めて「自分のwill/can/do」を整理して、「本当に」自分がやりたいことって何だろうと自己分析を繰り返した。
スティーブン・R・コビーの世界的名著『7つの習慣―人格主義の回復』の中でも、「本当にやりたいことをやる」は大項目になるほど重視されているが、まるでトライアスロン選手のような教師は、重要度/緊急度のデカルト図で示すと、「重要度も緊急度も高いこと」「重要度は低いけど緊急度が高いこと」でお腹いっぱいになっている現状があるのではないか(少なくとも私はそうだった)。
そこで、育休期間中は、「緊急度は低いけど重要度が高いこと」に全振りすることに決めた。インプットとしては、「旅」「キャリア・自己理解」「コミュニティ」「地理学・歴史学・哲学」あたりのジャンルの本を中心に、ほぼ2カ月で30冊くらいは手に取る時間を捻出した(今までの10倍くらい)。腰を据えて紙の本にあたるだけでなく、家事や散歩しながらaudio bookを聴いたり、スキマ時間で電子書籍を読んだり、パラレル・リーディングで「1分野7冊読み」を実践中。
また、アウトプットとしては、「本当にやりたかった」学校と社会と繋ぐためのコミュニティ・プラットフォームを構築すべく、神奈川県産業振興課が運営する起業支援拠点「HATSU鎌倉」にて第4期チャレンジャーに採択して頂くことに。その他、本業の地理関連のプロジェクト、note執筆などもボチボチ・・・。
変化③資本家として生きる
育休生活は、国から育児休業給付金が支給されるとはいえ、当然収入的には厳しくなる。とはいえ、「資本家として生きる」は、何も経済的な資本だけを指している訳ではない。
面白法人カヤックの柳澤大輔氏は著書『鎌倉資本主義』の中で、人が豊かに生きていくためには「経済資本(カネ)」「社会関係資本(人とのつながり)」「環境資本(自然や文化)」の3つが重要であると述べている。そして、その要素が鎌倉や湘南地域には揃っている。以前、「湘南」に関する記事を書いたら、プチバズりを経験した。特にコロナ禍では湘南ニーズの高さを実感した。笑
今は経済資本は削る一方だけど笑、学校外の「社会関係資本」を増やし、住んでいる湘南で「環境資本」を存分に味わうということを意識して生活していこうと思う。これらの資本が、加速度的に「まだ見ぬ世界への出逢い」を生み出すことを実感しており、それは必ず生徒たちに還元できるから。
【まとめ】育休は手段に過ぎない
さて、ここまで「育休生活、ぶっちゃけどーなの?」について書いたが、私が、お伝えしたいのは「育休最高!」ということではない。育休は、すべての人に解放された手段ではない上に一過性であるため、根本的な働き方改革にはなっていない。
ただ、教師が学び、挑戦し、成長し続ける姿を背中で生徒に示すことは大変重要なことだし、そのための「余白」を生む必要性を改めて共有したいという想いである。教師がよりいっそう主体的に学び続けられる仕組みづくりは、教職離れが進行する中で本当の本当に急務だと思う。いまから、自分に出来ることを考え、増やしていきたい。
最後に、この記事を読んだ下さった方との予期せぬ出逢いにも、その機会を与えてくれた育休制度にも、感謝したい。
@吾妻山公園
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