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茶と涼 人生振り返りnote

「岩本涼=お茶の人」

最近、そう認知していただけることが多くなった。私はいま茶道家として生きながら、日本茶の会社を経営している。9歳の時に茶人に憧れ、茶道の道に入ったときはこんな姿想像できていなかった。14年という月日を超えて、歴史に名を馳せた武将のように文化に生きながら産業を支える。そんなことができていていまは本当に嬉しい。

お茶の人として認知されはじめた私だが、なぜお茶をしているのか?どういう人生を生きてきたのかはあまりオンライン上に情報がまとまっていなかった。今回はそれをまとめて見たいと思う。生い立ちから、いままで。茶や日本文化と私の接点を中心に、色々と書いてみる。

武道に始まった日本の"道"への憧れ

正直なぜかはわからない。なぜか5歳の時に空手道への入門を自ら志願し、9歳の時には茶道を始めた。親に勧められたわけでも、家がそうであるわけでも、周りに勧められたわけでもない。なぜか憧れたというのだけを覚えている。だからお茶というと、「両親が〜?」「家元なの〜?」と言われることがあるが、それに対する答えは「NO」 だ。

おもしろいのはどちらにも猛烈にハマっている。正直小学生、中学生だった時の記憶はほとんど空手と茶道しかないかもしれない。親からスーパーの売り場を空手の型をしながら移動してたよ、と言われてさすがに引いた。笑 そんなわけあって、実は極真空手史上でも歴史に残るのではないかという速さの9歳で極真空手の黒帯を取った。そして実はそのタイミングで茶道を始めている。なんだか奇跡なのか、運命なのか。武道の世界で身体的な日本文化を学んだ後に、私は茶道の精神的な文化へ引き寄せられるのであった。

当時の空手写真(2006年)いやわっかw

余白をくれた茶室

小学校、中学校と空手とお茶ばかりをやっていた私は中学になると、なぜか勉強が大好きになった。あまり学校に馴染めなかったある種の反発心なのか、公立中学の他の生徒たちに負けたくなかったのか、そんなことはわからない。ただ、中学校に入った瞬間から勉強に明け暮れた。そうすると、割とすぐに学校に友達はいなくなった。頭でっかちの優等生。高校受験のために成績も必要だったため、なんとか委員会の委員長とかもしていたし、定期テストは学校でも常にトップを張るようになった。

ただ、精神衛生上はよくなかったなと思うのは、学校というもっとも自分が時間を過ごさなければいけない環境に信頼できる人が一人もいなかったこと。学校という場を架空の世界だと自分を洗脳させながら、興味を示さずとにかく勉強をした。まぁ公立の中学であればいろんなことが起きる。学校内のできすぎ君であった僕に色々と言ってくる人もいれば、課題を見せてくれのオンパレード。宿題を取られるわ、まぁいろんなことがあった。

そんな時に自分が一番救われたなと思ったのは、茶室だった。茶室の中では全ての人が人として肯定され、自分が魅力ある人間に見えてくる。喫茶という最も日常的な行為に意識を向け、いま生きている事実に対して敬意と感謝の姿勢をしめす。いらっしゃるお客様のために何時間もかけて準備し、一盌の茶を呈する。そんな暖かく、優しく、肯定感のある空間。毎週自分らしくいれる茶の時間があったからこそ、病まずにそのまま走ってこれたのだと思っている。時々深呼吸する空間。場所。行為。そんな人生の余白が私にとってのお茶だった。

日本茶と茶の湯の隔たり

私の人生に大きく関わってくる気づきとして、日本茶と茶の湯の隔たりがあった。日本茶と茶の湯は近いようで近くない、そんなことを高校生の時期に考えていた。

岩本語録:
茶:日本茶(抹茶を含む)
茶の湯:様式化された喫茶(日本では茶室という空間で喫茶行為を行うこと)
茶道:茶の湯を体系化したもの

初めて違和感を感じたのはまず茶会の時。亭主を務めていた先生に抹茶についてお伺いしたところ「京都産です」以上の答えが返ってこなかった。私は利休がいうように「茶の湯とは一盌の茶に心を込めて、お客様に呈することなのではないのか」とその先生に対して少し反発する心を覚えてしまった。飲食店であれば自分が出す料理の中身を知っているのが原則であると思うが、茶の世界ではそれが一般的ではなかった。

もちろんそれは構造的な問題であったりする。茶道というのは茶の湯を体系化したもの。トップに家元をおき組織化。組織では同一のお茶、同一の様式を用いて、修行を行う。そしてそこに目指すべき先があるのが「道」と言われるものだ。思想を学ぶべく、茶を手段として使う。だからよくも悪くも思想が学べれば手段はなんでも良い。茶の生産プロセスを知る必要はないが、私はどうしても知りたかった。知った上で、茶を呈したかった。

私は高校生の当時から自らが学んできた道の姿、その体系化された家元制度というシステム、そしてその周辺の事業環境について気になるようになった。もっとこうすれば良いのに、、という純粋な気持ちを忘れず、自分の好きな"茶道"を広められないか、考えるようになった。ちなみにこの時に漠然と起業をしようと心に決める。

世界で出たことで日本を理解した

私は早稲田大学の附属校に通っていたため、高校から大学へは受験を経験することなくエスカレートでもちあがれた。だからこそ自分の未来について考える時間がたくさんあった。その中で、高校の時から決めていたことは、 #起業   #留学 +英語 ありきたりな大学生に見えるが、それをいろんな欲に流されながらもきちんとやってきた。

大学に入ってから私は実は在学中に3回留学をしている。1回目はフィリピンへの短期留学。大学1年の一番楽しい夏休みをフルに使って、ダバオという田舎町に飛んだ。毎日16時間の勉強で、とにかく必死に英語のスコアを上げた。そのスコアを持って、2度目の留学はアメリカコロラド州。自らの専攻もあり、交換留学という形で留学をした。3回目はトビタテ留学Japan!という文部科学省の制度を使っての留学。渡航はしたものの途中で断念せざるを得ない理由が多々発生し、色々とご迷惑をかけた、、まぁそんなこんなで大学生在学中に3回の留学を経験した。

その中で私の中にあった一貫したテーマは「日本を理解すること」だった。「自分を知るには他者をまず知りなさい」そう育った私は、世界に出て、他国の文化をたくさん学んだ。そこで感じたのは、日本文化の幅の広さであった。

例えば、「もてなし」をとってみてもいくつも次元が存在している。日本人が外国人をもてなす時、皆すぐに懐石料理に連れて行くが、実は外国人によくよく聞いてみると吉野家や立ち食い寿司に行く方が喜ばれたりする。日本は安くてもサービスも味も良い、その幅の広さが日本文化であると考えた。

それでいえば、茶の湯は高次元な文化であるが、ライフスタイルとしての喫茶、喫茶店や茶屋、急須などは誇るべき日常の文化である。やりようによっては世界中の誰にでも届けられる幅の広さがあり、なんだかハッとした。

また、喫茶文化についてもたくさんのことを理解した。世界の全ての国はお茶の消費国か生産国であり、全ての国に何かしたの喫茶様式が存在すること。茶道のように体系化した文化は東洋の国々にしか存在しなく、茶を生き方や価値観まで昇華さえている国は日本しかないこと。

そんなことを考えている中で、自分の人生を振り返った。

幼少期になぜか日本の”道”文化に惹かれたこと。
自分の人生には茶の余白があり、だからこそ自分らしい人生が生きれていること
海外へ行くチャンスにも恵まれ、自らを俯瞰する力がついたこと
自分の好きが世界中に広がることが嬉しくて仕方がなかったことなど、
考えれば起業しない理由がなかった。

レガシーな産業、高次元な文化

触れにくいところもたくさんあるけれど、ゆっくりと急ぎながら伝えていきたい、そう思った私は茶室を拡張する、という思いを込めてTeaRoomと社名を決めた。TとRが大文字なのは、Tea(茶)+Room(空間・文化)を混ぜるという意味を込めて、1単語にした。
いつかtea roomが、TeaRoomと1単語になると良いなぁ笑

好きを仕事にする、のはとても大変だけど、
自分はいまこのために生まれたのかもしれない、と思えている。

いつか、世界が日本の茶の湯で溢れますように。

p.s.

いま思えばVUCAなる時代に唯一正解があるとすれば日本の「道」文化なのではないかと思ってしまう。正解がない中で生き方を正しい方向へ導いてくれる日本文化。若かりし頃の私は不安だったのか。道を志願した私の心境をタイムスリップして聞いてみたい笑


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