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ショートショート作品『ティラノさん』

石田諒

 ティラノさんは本当は「平野さん」という名前なのだが、むかし誰かが聞き間違えたせいでティラノさんになった。歳は還暦手前で白髪混じりの真ん中分け。身長は185センチもあるのにひどく痩せていて、いつもヒョロヒョロしている。
 ティラノさんはみんなから「ティラノさん」と呼ばれているので、自分は人間でいるよりも恐竜、つまりはティラノサウルスになったほうがいいのではないかと考えるようになった。さて、恐竜になるにはどうすればよいのか。
 何度かラジオ番組の人生相談コーナーに応募してみたが、採用されることはなかった。あれこれと思いあぐねた結果、行きつけのラーメン屋の店主に時間をつくってもらい、思いの丈をすべて打ち明けることにした。
「あの、自分、恐竜になりたいんです」
「ティラノさん、実は私もね……」
 なんと、ラーメン屋の店主も人間をやめて恐竜になることを渇望していたのだ。
 臨時休業の静かな店内に反して、ティラノさんの心は穏やかではない。恐竜になりたいと考えている人間がまさか、こんな近くに二人もいるなんて。
 きょうのこの場は、自分が自分のために用意した特別なステージなのである。それが店主の後出し告白によって、主人公の立場をある種、奪われてしまったのだ。
 この日、ティラノさんは大号泣する気満々であった。店主に相談しながら徐々に感情を昂らせていき、ここぞ、というタイミングで左右の目から大粒の涙を流すつもりだった。椅子から転げ落ちて鎖骨くらい折ってもいい、とすら考えていた。
 鎖骨の位置はネットできちんと予習していたし、リハビリも含めた治療期間や医療費もすべて試算済みだった。
 ラーメン屋に来る前には駅前のロータリーを何度も往復し、チラシ配りのバイト君からポケットティッシュをたくさんもらってきていた。
 涙と鼻水を思いきり垂れ流しても、それらを豪快に拭っても十分、足りるように準備をすすめてきたのだ。
「ひどいじゃないですか、こんなの」とティラノさんは店主に言い放った。「恐竜になりたいのは私のオリジナルの悩みなんですよ!」
 店主は冷や汗をだらだら垂らしながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し謝り、「どうですか、お詫びといったら安いかもしれませんが、ラーメン、食べてってください」と切り出した。
 ティラノさんは店で一番人気の全部乗せ濃厚味噌ラーメンを注文した。ここぞとばかりに味玉を二個も追加した。半ライスをつけたかったが炊くのに時間がかかるらしく、しぶしぶ諦めた。ティラノさんは店主をつつき、次回ラーメン1杯無料のクーポンを出してもらうことで納得した。
 どうにかこうにかティラノさんの機嫌をとった店主であったが、ここまで垂れ流し続けた冷や汗のせいで、店を中心に周囲数キロが完全に水没していた。
 全部乗せ濃厚味噌ラーメンを待つティラノさんは、店内のテレビをつけようとしたがリモコンが見当たらない。しかたなく本体のスイッチを直接操作することにした。
 床上浸水の店内を、ざぶざぶと進む。
 テレビは天井から吊り下げられているが、身長185センチのティラノさんには何の問題もない。背面の電源スイッチを操作すると、指先が油で黒く汚れた。
 パッと、テレビ画面がつく。
 チャンネル選択ボタンを操作してみると、すべての局がタイムテーブルを変更してこの街の災害特番になっている。指先はさらに油で黒く汚れていった。
「あら! 見てよこれ!」ティラノさんは店主に話しかける。
「また水害? 最近じゃ、どこもコンクリとアスファルトばっかりで地面に染みていかないからダメですよ」
「被害が少ないといいんですけどねぇ」
「あのー、ところでティラノさんさ、わたし思うんですよ」
「なんです?」
「恐竜になりたいっていうんなら」店主はリズム良く麺を湯切りして丼にすべり落とした。「語尾を、工夫してみるってのはどうですかね」
「語尾?」
「そう、言葉のうしろに、ギャー、とか、ガオガオ、とか、言いながら暮らすんですよ」
 提案を聞いたティラノさんは、怒りが瞬時に沸点を越えた。
 厨房に走り込んで店主を突き飛ばし、辺りにあった鍋やらお玉やらを投げつけた。調理台の角に後頭部を打ちつけた店主は気を失い、仰向けに倒れて水のなかに沈んでいった。
 その様子を目に焼き付けたティラノさんは、ほぼ完成していた全部乗せ濃厚味噌ラーメンに追加でメンマを山盛りにしてから慎重にテーブルへと運んだ。
 膝まで水が溜まっているせいでとても歩きづらい。漫画雑誌が散り散りに浮いている。
 ビニール張りの丸椅子を水中から引き上げ、ちょっと躊躇してから腰をかけた。割り箸を取り、いただきますをしたところで追加の味玉のことを思い出す。
 ティラノさんは「味玉、味玉」と声に出しながら再び厨房に分け入っていく。味玉は厨房奥の業務用冷蔵庫に入っている。なぜ知っているのか、それはティラノさんがこの店の常連だからである。

 ティラノさんがスープを飲み干したタイミングで店主が目を覚まして水から飛び出してきた。ティラノさんは店主に「きっと水中息止めの世界記録を更新しているのでギネスブックに申請したほうがいい」とアドバイスした。
「どこに連絡すればいいんですか」と聞かれたので、ティラノさんはスマホでギネス世界記録の公式ウェブサイトを検索し、必要事項と申請方法をメモ帳に書き記した。レジ横に置いてあった地元商工会のメモ帳だった。表紙は箔押しで、黄緑色の厚紙だった。
 店主はティラノさんに感謝し、感極まって歌い出した。故郷の公立高校の校歌だった。
 店を後にしたティラノさんは辺りを適当に歩くことにした。
 ティラノさんがこの街で暮らすようになって二十数年。となりの市のターミナル駅周辺は大規模な再開発を経てむかしの面影など皆無だが、この街はさほど変わらない。
 この街は、この街は、とティラノさんは頭の中で繰り返した。
 土地の大規模再開発と、自分が人間をやめて恐竜になりたい事実を関連づけることで、何か合理的で創造的な文章が書けるかもしれない。
 ティラノさんのもう一つの夢は小説家になることだった。
 恐竜になったうえで小説家になる、という道も悪くはないが「恐竜になってしまうとペンを持つことができず、パソコンも操作しづらそうなので両立は難しいのではないか」と考えてしまうところに、ティラノさんの冒険しきれない性格がよく現れていた。
 ヘリコプターがうるさい。
 ふと、街外れの小さな神社のことが気になった。あそこまで行ってみるのも悪くない、むしろきょうは行くべきだ、とティラノさんは高揚感を覚えた。
 ティラノさんはその場で深くしゃがみ、足腰に集中した。ふんっ、と息を漏らすと勢いをつけて空高く飛び上がった。遅れて太い水柱が吹き上がったかと思えば、次の瞬間、衝撃波で辺りが消し飛んで更地になった。あの大規模再開発の際に現れた光景にそっくりだった。
 一連の衝撃で、水害の取材を行なっていたテレビ局の報道ヘリが2機、墜落した。
 この件は、昨今の「災害時に現場上空を飛び回る報道ヘリの飛行音で生存者の声が掻き消され救助活動に支障が出る問題」に絡まって、ネット上ではさまざまな意見が飛び交った。なかにはティラノさんを英雄視するようなツイートも散見された。
 繁華街と住宅街のちょうど境に建つ小さな神社前に着地したティラノさんは、さっそく鳥居をくぐった。境内はわざとらしく鬱蒼としており、さも外界とは隔離されているかのような雰囲気がいかにもな感じで不自然に漂っている。
 手水舎の前に立ったティラノさんは二人に分裂し、それぞれボケとツッコミの役割で参拝を試みることにした。
「そんなわけねぇだろ!」
「いや、まだ何もしてないから、というかあなたボケるほうですし」
「そうだった、先回り、良くないイェイ!」
「ダブルピースすんなよ気持ち悪い!」
 気持ち悪い?
 さっき食べたラーメンが胃の中で暴れている。その不快感でティラノさんは一人に戻ってしまった。そう、ティラノさんはいつだって「独り」なのだ。
 両手と口を清めたティラノさんはヒョロヒョロと本殿に向き合った。ポケットの小銭をかき集めて賽銭箱に投げ入れる。それらはアルムニウムと銅ばかりだった。指先はまだ、油で黒く汚れていた。
 しかるべき作法で参拝を済ませたティラノさんは、神社の出口調査に応じる。
 聞き取りには「胃もたれが早く治るようにお願いした、この歳で全部乗せ濃厚味噌ラーメンはきつい、メンマも味玉も余計だった」と答えた。
 本当の願いは自力で叶えるのが、ティラノさんの正義だった。
 調査員の女が「それってどこのお店ですか? さっきの爆発でみんな吹き飛んでしまって、昼、食べるとこがなくて」と言った。
「それは災難なことで、私がよく行くラーメン屋さんはね、この通りを、といっても、もう水浸しで瓦礫だらけで道かどうかわかりませんが、まっすぐ進んで、あ……」
「どうしました?」
 ティラノさんは気づいた、次回ラーメン1杯無料クーポンを受け取り忘れたことを。
「いえ、ちょっとそのラーメン屋で忘れ物をしてきたことを思い出しまして、取りに戻ろうかと。良ければ案内しますが、どうでしょう」
「よろしいんですか? ぜひ!」
 ティラノさんと調査員の女は並んで歩き出した。自分に娘がいたらこのくらいの歳姿だろう、とティラノさんは目を細めた。
「親切な方に知り合えて嬉しいです。お名前をうかがっても?」
「私ですか、私は、ティラノ、といいます」
「平野さん、ですね!」
 ティラノさんの表情が急速に曇る。
 街に、2度目の水柱が吹き上がった。そして衝撃波が、再び辺りを。

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