プレイングマネジャーの「プレイング」の誤解

 久しぶりの投稿。最近、リーダーシップとマネジメントの違いや、リーダーシップの心得などを議論する機会があり、自身の思想と他人が考える思想をぶつけあい、自分にとって改めてリーダーシップとはどういうことかというのを再認識できました。

 その議論の中で「リーダーシップを発揮するには、率先垂範をしていかないといけないよね」という意見に対し、「いやいや、それではプレイングマネジャーになってしまうんじゃないのですか」という方がいました。

 このやり取りの中で、私の思う意見としては、この変化の激しい時代だからこそ、リーダーが率先垂範して、見えないものを見に行くことをするという行動をしていかないといけない。誰も踏み込んだことないからこそ、まずはやってみるというのがリーダーの責任であると考えています。

 踏み込んだ後、ある程度の人を巻き込み、その方向についてきて一緒にやり始めるメンバーがその行動に賛同して続けるようになれば、後は任せればいいのであって、それをダラダラ続け、その仕事をいつまでも渡さないというのが、「プレイングマネジャー」の無駄なプレイングになってしまうのではないかともいます。

 要するに、プレイングするにも、だれもやっていない行動・領域であれば、だれもがよくわからないからこそ、まずプレイングするのはマネジャーやリーダーもしくはそれを本当に実行したいと思ったものが率先垂範していかないとだれもついては来ないと思います。

 見えないものに踏み込み、その活動を規模化させるまでがリーダーシップの神髄なのではないでしょうか。

 プレイングにもレベルがある。「リーダーは指示していればいいんでしょ」「自分でやるなんてマネジメント失格だよね」という考えでは、この変化の激しい時代は乗り越えていけないだろうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?