見出し画像

人を撮る

「これが自分の作品です」と発表する写真は、何かしら心に引っかかった光景だ。自分の心の中に降りてゆく光景なので、そこに他者はいない。しかし実はSNSやnoteなどのネット上に発表しない写真は、仕事でもそれ以外でも人物が多い。

2年前の夏に親友Mが突然死した。その直後に彼とのつき合いをフォトブックにするために、出会った大学2年の1985年から2020年までのプライベートのネガを全て見た。それで気づいたのは「けっこう人を撮っているなあ」ということだ。

友人や知人など愛しい人を撮るのはもちろんだが、若い頃は街中で知らない人も撮っている。辻斬り的なスナップもあるのだが、声をかけて撮っているものも多い。親友Mの写真を探していた時はスルーしたが、気になってまた見直してスキャンしている。今回掲載するのは1985年から1986年にかけての写真だ。今とは時代が違うのもあるが、当時はちょっとしたコミュニケーションさえ出来れば簡単に人を撮ることが出来た。

画像3

1985年11月23日撮影。高島平団地。私は大学2年生だった。自分も茨城の団地というか社宅で生まれ育った。当時としてはモダンな鉄筋コンクリートの3階建てアパートが6〜7棟ほど建ち並んでいた。しかし東京の団地は規模が違う。上京して2年間はあちこち出かけて写真を撮った。この子達は小学何年生だったろう。仮に10歳とすれば1975年生まれ。現在は47歳くらいになっているはずだ。

画像2

1986年1月15日撮影。次の写真で分かるが港区港南1丁目あたり。先ほどの高島平団地と同様に自分が知らない東京を撮りたくて埋立地をよく歩いた。たまたま出会った成人式帰りのふたり。何となく声をかけて1枚だけ撮り、何となく別れる。時代もあるがこの時の人と接する感覚は思い出せない。私も大学2年生でハタチだったが実家に帰って成人式に出席することもなく、東京で生きる決意をしていたのだった。彼女たちは同い年なので現在は57歳か56歳になっている。

画像3

そしてさっきの晴れ着女子の次のカットがこれである。歩道橋に港区港南1丁目とあるので、現在の高輪ゲートウェ~イと品川の間あたりだろう。ワンちゃんがくわえているのは巻物のように見えるが、まさかそんなことはなかろう。首輪をしているようだが捨てられたのか逃げたのか。「野良犬」というのは現在ではほとんど死語だが、まだそんな犬がいた時代である。当時はボツにしたようだが良い写真じゃないか!

写真を始めた中学生の頃。ポートレートを撮りたくて最初に買った交換レンズは85mmだった。市が開催する桜娘の撮影会などをドキドキしながら撮った。高校生になるとクラスの女子を学校の中庭でドキドキしながら撮った。でもそれはすぐに飽きた。そしてハタチの頃にはこんな写真を撮っていたのだった。ペンタックスLXにSMC-PENTAX M28mmF2.8かな。

もちろん現在の方が技術も経験もある。しかしハタチのこの頃の撮り方は二度と出来ない。こうしてスキャンして発表することは単なる懐古趣味ではないと思っている。

なお肖像権や著作権など写真に関する権利については、このnoteの最初の投稿「なぜ撮るのか」で結論づけているので、そちらも合わせて読んでほしい。


電子書籍

「カメラと写真」

https://www.amazon.co.jp/s?k=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E8%89%AF%E4%B8%80&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=4P8ICTVTZ5Q0&sprefix=%E6%9C%9D%E6%97%A5%E8%89%AF%E4%B8%80%2Caps%2C174&ref=nb_sb_noss_1


Instagram

@ryoichi_asahi02
https://www.instagram.com/ryoichi_asahi02/?hl=ja

@ryoichi_asahi
(現在、私がログイン制限中のためコメントにお返事が出来ません)
https://www.instagram.com/ryoichi_asahi/?hl=ja

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?