5人の起業家の話【起業を決意したきっかけ】
こんにちは、現在起業準備中の本間です。
今回は前回の記事の最後に触れた、私が起業するきっかけになった5人の起業家について書きたいと思います。
↓ 前回の記事はこちら ↓
結論から先に述べると、私はこれからお話しする5人の起業家から「行動力の大切さ」を学びました。
やるか、やらないか。人生はこの二択に常に直面しています。ただ、「やらない」を選択し続けているうちにだんだん二択が見えなくなってくる。
それを改めて見えるようにし背中を押してくれたのが、これから紹介する方々です。
1. 古橋 智史さん / スマートキャンプ株式会社
一人目は古橋さんです。古橋さんについては以下noteをご覧ください。
古橋さんは私の人生のロールモデルの一人です。
私は大学時代、水上スキーに打ち込んでいました。4年間の90%を水辺で過ごしたと言っても過言ではありません。自分でプレーするのも他人に教えるのも大好きで、常に水上スキーのことを考えていて、日本代表に選ばれたこともありました。
実は古橋さんも同じく大学時代を水上スキーに打ち込んだ先輩でした。
(私より6学年上で学校も違ったので、現役時代は面識がありませんでした。)
古橋さんに初めてお会いしたのは2017年の11月初旬。私が就職活動を終え、名もないベンチャー企業に10月入社してすぐのことでした。
それは初めて起業という選択肢を身近に感じた瞬間でした。
それまでどこか知らない街の知らない出来事のように実体を持っていなかったものが、古橋さんという一人の人間を通じて一気に現実のものに変わっていく感覚を今でもはっきり思い出せます。
それ以降私は人生の選択肢として「起業」を意識するようになり、イスラエルのスタートアップに転職する時にも大きな影響を与えてくれました。
それからちょうど2年後の11月、古橋さんの創業したスマートキャンプがマネーフォワードの子会社になりました。この突然のニュースは私にとってエポックメイキングな出来事で、古橋さんのそれまでの努力が一つ実を結んだことがとても誇らしく感じられると同時に、自分も古橋さんのように社会に価値を生み出せる存在になりたいと思うようになりました。
現在私は25歳。古橋さんが起業したのも25歳です。
今後古橋さんと並び立つことができるように精進していこうと、身の引き締まる想いです。
2. (非公開)
諸事情により非公開です。
3. 清水 正大さん / 株式会社ZEALS
三人目は清水正大さんです。一度知り合いに誘われてZEALSのオフィス移転パーティにお邪魔したことがあり、その際に簡単に挨拶させていただいた程度で清水さんは私のことを覚えていないと思います。
清水さんのことは勝手に注目していました。同世代の起業家で、経歴がとても興味深かったからです。
1992年、岡山県倉敷市生まれ。工業高校を卒業後、水島コンビナート内の工場で航空機のサポートリング開発に携わる。東日本大震災を契機に「日本をぶち上げる」という志を掲げ、翌年、明治大学政治経済学部に入学。2014年4月、事業計画も商材も持たぬままZEALS創業。飛び込み営業で獲得したさまざまな受託案件を糧に、コミュニケーションロボットの会話エンジンの開発に着手。16年5月、チャットボット型の広告サービス『fanp(ファンプ)』をリリース。利用ユーザー数40万人を超える人気サービスに育てた。
起業をするというとまず真っ先に具体的な事業計画を聞かれます。そしてうまく答えられないと、「やめた方がいいんじゃない?」と言われます。
私が今まで志を持っていたのに一歩目を踏み出せなかったのは、そんな声を跳ね返せる自信を持てなかったからでした。
しかし清水さんの記事を拝見した時、その男らしく図太い生き方にとても勇気をもらいました。
少し話は変わりますが、イスラエルは人口に対する起業家の割合が世界で一番大きく「起業大国」と言われています。その理由として特筆すべきはその国民性です。イスラエル人は失敗を恐れません。むしろ挑戦して失敗することを誇りに思う文化が醸成されているのです。
私は清水さんやイスラエル人の生き方にとても感銘を受け、まだ事業構想も固まってないうちに起業することを決めました。その第一歩を踏み出すことが何よりも大事だと気づいたからです。
4. 赤野 健悟 / 株式会社JIW Sync
親友の赤野です。イスラエルのテルアビブ大学で学ぶ傍ら、日本とイスラエルの企業の協業、投資、リサーチ、視察のアテンド等を行う会社を起業しています。
私がイスラエルにいる間、よく一緒にご飯を食べたりスカイダイビングしたりする仲でした。
赤野は学年で言うと自分の二つ下の学年にあたりますが、赤野のこれまで選んできた選択は私にとって驚きの連続です。
阪大歯学部に入学後、歯科医師になることに疑問を感じアメリカの大学に編入。アメリカの大学のインターンシップで行ったイスラエルの技術力に魅せられ、イスラエルのテルアビブ大学に編入。この時点で凄まじい決断力と行動力です。
行くとわかりますがイスラエルには日本人がほとんどいません。物価もとても高く、母国語がヘブライ語なので、正直暮らしやすいとは言えません。
しかし赤野はそんな中、起業までしているのです。
私が日本に帰る前日の夜に、赤野が言いました。
「今の社会って、楽に生きようと思えば生きていけるよね。TwitterとかYouTube見て、吉野家の牛丼食べて、適当に働いて。でもせっかく一度きりの人生なんだから、本気で生きていきたいよね」と。
(その時お互いに酔っていたので細部は違うかもしれません。)
まさにその通りだと思いました。この言葉は私の起業への最後の一押しとなり、今でも私の中で大事な指針の一つになっています。
5. 飛嶋 文次郎 / 飛島組(現:飛島建設株式会社)
飛嶋文次郎さんは明治時代を生きた私の母方の先祖にあたります。
以下簡単に沿革をご紹介します。
1883年(明治16年)飛嶋文次郎が飛島組を創設。福井城郭とりこわし工事を初めて請け負う。
1901年(明治34年)福井県立農学校の敷地造成に軌条によるトロッコを採用し大成功を収める。
1916年(大正5年)株式会社飛島組を設立。
1946年(昭和21年)株式会社飛島組は、企業再建整備法の適用を受け解散。翌年、飛島土木株式会社を設立。
1960年(昭和35年)東京証券取引所 一部上場
1965年(昭和40年)土木偏重のイメージから脱皮するため、社名を飛島建設株式会社に変更。
1982年(昭和57年)「青函トンネル」が竣工。
1997年(平成9年)「東京アクアライン」川人南工区が完成。
明治、大正、昭和、平成、令和と五つの時代に渡って日本の成長を支えてきた飛島建設ですが、その始まりはたった一人の「やる」という選択でした。
その選択が時代とともに多くの人を巻き込みながら大きくなり、青函トンネルや東京アクアラインを作る大事業を手がけるまでに成長したという事実は、私にとって大事な視点を与えてくれました。
それは、長期的な時間軸で世の中に貢献しようという視点です。
人間は得てして短期的な思考に陥ります。私も、事業を考える時にはつい長期的な視点を欠いてしまうことが多く、その度に文次郎さんのことを思い出すようにしています。
自分が今から行おうとしている事業は、100年後にはどうなっているだろうか。
テクノロジーの発達により、さらなる変革が待ち受けている令和の時代に私には何ができるだろうか。
私のたった一人の「やる」が、いずれ世界の抱える様々な課題を解決する大きな力になることを願いながら自分の道を進んでいこうと思います。
終わりに
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