オフ会

1月29日火曜日、晴れ

かれこれ六ヶ月くらい、だろうか?
プログラミングとは何か。よい設計とはどういうものか。そういうことを考えたいと思った有志が集まって始まった勉強会の第二期が『アンダースタンディング・コンピュテーション』という書籍を題材に進んでいる。(起案者による第一期は『THE SCIENCE OF PROGRAMMING』で足掛け5年を超える長期にわたる勉強会になった)

今回は(社内での勉強会だけれど)拠点もまちまちだし、だったら画面共有とボイスチャットで進めてみようという野心的な取り組みをしていて、継続的参加者もキープしつつ楽しく進んでいる。(昨年末あたりから始まったフレキシブル・ワーク──前日までに上申して認められれば在宅勤務オーケーという制度とも、まことに相性がいい。ただし在宅の場合こどもらの楽しそうな笑い声などが挟まってしまうハプニングが生じて気まずかったりもする)

リモートでも音声と画面共有、そしてチャットもあるから勉強会は進むのだけれど、たまには顔を合わせての勉強会もやってみましょうという第二期発案者の声がけで、今日はオフラインでの勉強会。そしてその後で新年会。

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どうやってコードを書き続けるのか。
いいコードをどうやって書くのか。

そういうことに意欲を燃やす仲間がいることを再確認して嬉しくもあり、一方で(僕もしたことがない)管理職の管理に対する不平・不満を聞いて悲しくもなり。

「最適化」だとか「無駄・余剰」を省くとか、ひいてはそれが「競争力」につながるだとか言い方はいろいろだけれど。極端で強引なこれらの方法は反発と、そして悲しみと怒りを招くんだと再認識した。
かつての僕はこれらが嫌でたまらなかった。けれど前線を退くこと二回に及び、(これだけが直接で唯一の原因とはおもわないけれど)自分の我を通すことに、強引に戦うことにも疲れ、だから両足を突っ込んで噴き上がることも難しく、中途半端な場所でぼんやりと立ちすくむような心持ちになってしまった。

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職人が、職人としての技を磨くこと(だけ)に一心不乱に取り組める、そういう場所をつくれないものだろうか。(技量の練磨に専心するために暮らしの不安がない環境が必要で、これらを揃えるだとかを含めて)

職人が、その技を磨き、披露し、共有し、切磋琢磨し、高めあえるような場所。技の追求こそが第一に求められるような環境。

これは趣味に専心・没頭して、それが認められる環境を求めているということで、ずいぶん虫のいい話だともおもう。
無理だろうな、という気持ちがほとんどで、でも、なぜ無理なのか、どうしてできないんだろうか。どうにかできないんだろうか。どうやったらできるんだろうか。そう夢想する気持ちをバッサリ捨て去ることもできず、たまにもやもやと気持ちがくすぶる。

ただこれって、自分の楽しいことを、「ありのまま」を、「自分らしい自分」を、そのままを受け止めてほしいという、青臭くてどうしようもない未熟な欲求そのものなんじゃないのか? そうも感じて、だからあまり声高に言いつのることもできない。

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集合演算の実装を考えていた。本文に書いている通り、こんなものはライブラリーとして頭のいい人たちがすでに実装を終えているもので、だから自分で再発明することにどれほどの意味があるのか──そう考えて悲しくもなる。

ただ、同じ結果を出すものでも、別のルートで目的地にたどり着く方法を考えたり、わざわざ自分の足で辿ってみたりすることに、やっぱりなにがしかの意味があるんだろうとも、おもう。


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