死のプログラム

2月16日土曜日、晴れ

『タコの心身問題』という本を読み終えた。

著者によると研究によってタコを含む頭足類は、脊椎動物よりも古く進化の枝わかれをしていたことがわかっている。そして枝わかれ時点では(あったとしても)ごく簡単な神経系しかなかったはず。
実際にこの分岐に乗った生物たちは、さして複雑な神経系を持たず、この生物種の例外としてタコや一部のイカが大規模で複雑な神経系を有しているのだそう。
そして特異なことに、タコは体全体に張り巡らされた複雑な神経系があり(特に腕が他と比べて2倍の密度なのだとか)、その「体全体」が脳みそだともおもえるそうだ。

腕を動かしたい──タコがそう思ったとして、腕も独立して思考する生き物のようなもので、だから腕は動いてほしいということは理解して、でもどのように動くかの詳細は腕次第。そんな不思議な、生命の集合体のようなものなのかもしれない、そうだ。(『寄生獣』の後藤を連想した。二木でもいい)

魚や鳥、爬虫類は、頭部に巨大な脳みそを持ち、これが全体を統御しているという点で人間に近く、脳みそという観点では同じ進化の幹に連なる仲間とも言える。
一方でイカ・タコは異なる進化によって違う要請からまったく違うやり方で脳みそを作りあげた。そうおもうと、とてもとても不思議だ。

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異なる仕組みで脳みそを獲得したイカやタコを見ていると、不思議とその思考を、もっというと彼らが精神、心をもっているように感じるのだそうだ。

これって、なかなか面白い。

違う道具だてを背景にしても、結局「心」がつくりあげられるということ?

まあ実際にありそうなのは、関係する相手との共進化によって似た応答を持つようになった、というところだろう。
つまりイカ・タコが(エサとして捕食することも、エサとして捕食されることも、いずれにせよ)相手にしているのは脳みそを持った我々に連なる類縁。そうであれば、相手の動き(それが単純な運動についてなのか、あるいは心の働きによる思考なのかはわからない。エビが、魚が考えているのかどうか。どうなんだろう?)を予測できるほうが有利だ。
あるいは複雑な動きをするようになった捕食者・被食者についてくためにこそ、複雑な神経系を、そして大規模な神経ネットワークを作りあげるに至ったのかもしれない。

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ところで死について。

生物になぜ「死」があるのか。細胞にあらかじめ死亡時期がプログラムされているように見えるのは、なぜか? 老化は、なぜ動物種にあまねく広がっているのか?

我々の体は細胞によって構成されている。細胞は絶えず新しいものと置き換わっている(新陳代謝)。ところで細胞は遺伝子の働きによって複製(コピー)が作られているのだけれど、遺伝子のコピーは完全ではないのでたまに間違いが起こる(突然変異)。それでも全体としては正常な細胞が多くバランスが保たれる。しかし歳を重ねるに従ってコピーミスによる異常な細胞が増え、ある時点で閾値を超えて生物組織が崩壊をはじめる。
他の書籍なんかで、だいたいこんな説明を読んで、なるほどと納得していた。

(でも考えてみれば、最初に細胞は新陳代謝により古いものを新しくしなければならないと言っていて、つまり細胞が「老化」するから生物の体も「老化」するのだ、といっている。鶏と卵。なぜ細胞は老化するのか? という問いには答えていない、気がする)

ところで『タコの心身問題』に説明されていた学説で、おお! と膝を打った。

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老化によって死なない生物がいると考える。これは何らかのアクシデントによってのみ死ぬとする。また死ぬまで生殖活動を継続すると仮定する。

これには稀に生存確率や繁殖率に関わる突然変異が起きる。大抵の突然変異は子孫を残せる確率が下がるため、いずれその種から排除される。しかし完全に排除されるには時間がかかるため一定の異常種も集団の中に存在を続ける。

突然変異の中には一生のある時期にだけ影響するものがある。相当長い年月が経過すると悪影響を与える突然変異を抱えた個体が集団の中に存在したとする。この変異を抱えていても長い年月を生きることができ、その間、継続して子孫を残し繁殖する。たいていは顕在化する前に事故にあうなどで死ぬため突然変異の影響を受ける個体は少なく、だから淘汰圧も小さくとどまる。(生涯の早いうちに悪影響を与える突然変異に比べ、淘汰はされるものの、その効率はよくない)

これにより「長い年月が経つと」古い個体にのみ影響する悪い突然変異が集団に蓄積していく。捕食されることもなく自然の災害に遭うこともなく、異常に長生きした幸運な個体は、いずれ悪い突然変異が顕在化して身体の不調に見舞われる。
このような個体を観察していると「時間が経つと身体が不調に見舞われるようにプログラムされている」ように見える可能性がある。(潜伏していた変異がスケジュールどおりに顕在化しただけ)

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突然変異に限ってみても、ひとつの変異が及ぼす影響は複数に渡ることが多い。そして生涯のうち早い時期と遅い時期に時間差で影響する変異も珍しくない。

早い時期に悪い影響が出る変異は、これを抱えた個体にかかる淘汰圧は大きくなるため集団からすぐに排除される。一方、早い時期に良い影響が出て、遅くに悪い影響が出るような変異だとしたら。

別の原因で死亡することも考慮に入れると、早い時期に得られるメリットが、(他の原因で命を落としているかもしれないので)遅い悪影響のデメリットを上回る。早い時期に得られるボーナスが重要──という選好を自然選択はする。

これを見ると、生涯の遅い時期から発現するデメリット──老化がプログラムされているように見えてくる。

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遅い時期に発現する悪影響は自然選択の淘汰圧を免れやすく、遅い時期の悪影響を打ち消すほどの早期ブーストが得られる突然変異は選好される。結果、遅い時期の悪影響──老化が動物にプログラムされているかに見える。

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