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500グラムで山盛りの

1月31日木曜日、小雨

降るよ。そう言われていたけれど、面倒だったので傘を持たずに出勤。行きも帰りも降られました。昼は晴れてたけどね。

そしてそう、昼。ほんとうに久しぶりに『粋貫庵』。
山盛りのざるそば、500グラム。量は正義とか、そういう類の。

そして同僚が言っていたとおり、たしかに夜の営業は無くなってしまっているみたい。一度、噂の天ぷら食べ放題という馬鹿げたコースを味わってみたかった。

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小学4年生10歳、7万2千字の小説を書き電子出版。見出しが強い。

気にしたことがなかったけれど気になったので調べたところ、200ページほどの小説で10万字程度だとか。文庫だとごく薄い部類という印象だけれど、それでも結構な内容を詰め込める分量。

僕のこの毎日の散文は、だいたい1000字程度を目指して書いている。だから72日、二ヶ月半で彼女に追いつけることになる。

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それにしても小説、か。
僕はゲームをつくりたくて、いまだに果たせていないのだけれど。そう。「物語」をつくることができない。いや、ひょっとしたらできるのかもしれないけれど、気が向かない。
つくりたかったのは御多分に洩れずJを冠するRPGなんだけれど(つまり『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』、『桃太郎伝説』みたいな、あれら)、でも、そのためには物語が必要じゃない?

でも、僕がつくりたいのは大体がところシステムで、キャラクターをどういう数値で表現するのか、だとか、その数値で「戦闘」をどう表現するか、だとか、そういうものだった。(ゲームブックの戦闘解決だとか、コンピューターゲームの『ローグ』のシステムだとか)

一番入れ込んでいた頃に(これはイケるかも?!)などと考えていたのは地水火風の4要素を使うもので、火はエネルギーを司る系列。残りの三つ地水風はエネルギーを与えられた状態で「固体」「液体」「気体」の表現で。主人公は「風使い」という役割にして(響きもいいしエキセントリックな感じで)膨らませよう、とかその程度まで。

でも、じゃあそれで何を表現したいのか? 物語をつくりたいのか、システムをつくりたいのか。世界観を語りたいのか、それとも主人公で魅せたいのか、はたまた群像劇で多元的な価値観を表現したいのか。

そういうところにまで踏み込めなかった。システムを考える方向でも、いくつか数字に落とし込んでサンプルデータで比較検討する──なんてこともしなかった。

正直、「できたらいいな」という妄想止まりだったんだよね。苦い。

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プログラムはよく書く。ある問題を「解く」ために、どういう書き方ができるか。もっと詰め込めないか。シンプルにできないか。他の方法は?
そういうのは好き。

落書きもする。目にした絵に触発されたりして、描きたくなる。これも描きたいという衝動が、ある。線を重ねて、構図をとって、紙の上に形を描き出すことが好き。

歌を口ずさんだり(妻に言わせると「朗々と」で口ずさむなんて可愛らしいものじゃないそうだけれど)、ヴァイオリンをぎこぎこ練習するのも好き。いい音が出ると嬉しいし楽しい。

ここに挙げたそれぞれ、かなり「刹那的」で「衝動的」だ。長い時間をかけて計画的に進める作品づくりは、僕は、続けられない。まして物語は──、何を目指すのか。何を表現したいのか。そういうのが浮かばない。

あるいはでも、物語も。起承転結のストーリーラインなしに、それがミステリなのかスリラーなのかSFなのかファンタジーなのか、どう転ぶかもわからないまま。描写したい「あるシーン」を、ただただ切迫感に追われて表現したくて、表現できなくて何度もなんども書いては捨て捨てては書き繰り返す。そういうところから始めることも、あるんだろうか?

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