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愛する、ということ

『自分が話したいことと、相手が聞きたいことは違う』

だから「聞き手が興味のある話題」に絞り込んで、話せるようにする。

そのために、自分の話したいことをリストにまとめておき、折にふれリストを片手に「この中でどれが聞きたい?」と尋ねて、その話をしてみる。(オチをつける必要はないけれど最後まで話しきる)

これを繰り返し練習することで(自分が話したいことでなく、人が)聞きたくなる話ができるようになる。

ということが書かれていた。

僕は自分が話したいことを話したいし、僕が話したいことを聞いてくれる人が欲しい。
けれど、それでは人は聞いてくれない。そういうことだね。

先週整形しといてよかったわぁ

関係するのか、しないのか。
先日の朝日新聞、折々のことばで、大阪の結婚式の会話が取り上げられていた。

「おめでとう。めっちゃきれいやったでー。」
「ありがとう。そんなん言うてもらえてうれしいわぁ。先週整形しといてよかったわぁ。」
花嫁のこの受けには「整形間に合ってよかったなぁ」と返す。「元からきれいだよ」ではなく。

当意即妙というのか。敵わないなあ、この応酬には。

少しズラして、相手をもてなす。相手の受けに、当の相手がさらに乗りたくなるだろうことばを返す。

愛とは呼べない愛

世の中にどれだけ自己中心的な愛、愛とは呼べない愛が溢れているかを書いた、こんなポストがあった。

If someone thinks you are beautiful, but doesn’t care about your feelings or your reality — or, more specifically, if they prefer that your feelings and reality simply mirror their own or otherwise be uncomplicated for them — then they do not love you. They like you as fish.

あなたを綺麗だという人がいるとして、でも彼/女があなたの気持ちを、あなたが見ている世界を、ちっとも気にかけてくれないとしたら。もう少しきちんと言うと、あなたの感情や世界が彼/女と同じであること、そうでなくてもたやすく理解できること ── それが望みなら 、それは愛なんかじゃない。彼/女が見ているのは魚だ。

ここで「魚」というのは、記事冒頭の喩え話。

“Young man, why are you eating that fish?”
“Because I love fish,” the young man answers.
“Oh, you love the fish. That’s why you took it out of the water and killed it and boiled it. Don’t tell me you love the fish. You love yourself, and because the fish tastes good to you, therefore you took it out of the water and killed it and boiled it.”

僕らは、人から愛されたい。
でも、それは自分で自分を愛せないからだ。
そんなことも書かれている。

Love is care, not consumption. It is about first loving yourself; having a whole existence with enough sustenance that you do not need to pull love off of those around you.

愛とは思いやること。消費するものなんかじゃない。とにかく自分自身を大切にすること。自分の存在すべてを、きちんと生き続けるに足るだけ愛すること。そうすれば周りにいる人たちから愛を引き出そうなんて、しなくて済む。

愛する、ということ

自分と違う他人を

その感じていること
その見ている世界
それらが自分とまったく違うことを知り

その違う世界からの眺めを
驚きとともに楽しむこと

自分の世界の眺めを
相手の世界のことばで伝えて
喜びを分かちあうこと

ありきたりなまとめになってしったけれど。
愛するということはこういうことなんだろうと、考えていた。

余談

ところで、先の魚釣りの偽愛の著者の別記事。

これがまた、ほんとお前は俺か! っていうくらいにツボをついてきて、お昼、呆然としてしばらく動けなくなるくらいの衝撃だった。


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