見出し画像

Episode33 『コンビニ店員』

近所のよく行く中華料理屋の親父が「最近小麦粉が高いから、メニューを値上げせねばならん」というようなことを言っていた。
遠く海の向こうの国でどうやら戦争が始まっているらしいということは、無学で無教養な俺でも知っていたが、どうもそれに起因しているらしい。

戦争か。全く、不愉快な響きだ。
自分を愛国心や道徳心が強い人間だとは思っていないし、別段何ができるわけでもないのだが、どうにもこの話題に関しては、さすがの俺も気が滅入る。暗澹たる思いだ。

こんな風に平日昼下がり、男とダラダラ裸でいちゃつきながら、パソコンをタイプしていて良いのだろうか。

Episode33 『コンビニ店員』

こんな出だしで男の話につなげるのは大変不謹慎なようだが、それがこの連載のテーマなので仕方ない。そして俺はいつも、その話題に関しては至って真面目だ。
そして俺はこんな暗い時代だからこそ思い出すひとりの男の子がいる。

故郷の田舎から上京して、真っ先に驚いたこと。
それは電車の本数でもなく、美容院や歯医者の数でもなく、流れる川の汚さでもなく、なぜかジャケットに袖を通さず肩にかけて歩いているリッチピープルでもなく、コンビニの数だった。
俺の引っ越した1人用マンションの近くには、大手コンビニチェーンが徒歩圏内に全種類、それも複数軒ずつあった。
いくら人口が多く忙しない都会とはいえ、こんなにコンビニだらけで客の奪い合いで共倒れしないのか?と、いらん心配をした程だがどうもそういう様子もない。
そうか、東京の人は日に何度もコンビニを利用して生きているんだなあ、と変な感動を覚えた。

そんなコンビニ入れ食い状態の東京生活のなかで、一度だけ、店員さんに淡い恋心を抱いたことがある。あれは大学を卒業してすぐ、くらいの頃だったか。

同年代と思しきその店員さんは、ある日突然、研修中のバッチをつけて現れた。韓国の出身と思われる苗字だった。

「イラッシャイマセー」

不慣れな日本語で、しかしいつも明るい笑顔で接客してくれる彼のことを、俺はすぐに好もしく思った。
家や駅からもっと近いコンビニもたくさんあったが、俺はいつもそのコンビニで買いもをするようになった。
彼がシフトに入っているとテンションが上がったし、彼の方も(下心丸出しで)足繁く通う俺のことをすぐに覚えてくれた。

そんな俺たちの、レジ越しのプラトニックな関係は約3年間続いた。

いつしか彼は、俺が商品を持ってレジに行くと、何も言わずに背後の棚からマルボロライトのボックスをひとつとってスキャンして渡してくれるようになっていた。
それから2、3軽口を聞いて、手を振って別れる。

しかし別れは突然やってくる。

珍しく神妙な顔の彼はいつものようにタバコを差し出しながら、初めの頃よりも随分と上達した日本語でこう言った。

「ここをやめて、韓国に帰ります」

がーん。俺はショックで硬直してしまった。

「なんでまた急に」
「急じゃないんです。兵役があるんです」

へいえき。へいえき。へいえき。

もちろん意味は知っていたし、韓国人の若者にはそういう義務があるというようなことを知識として知ってもいたが、いざ当事者の口から聞くとその重みはかなりキツかった。
もちろん、大変なのは俺ではなく、彼なんだが。

「髪を切らなきゃいけないのが嫌ですね」

ようやく相好を崩した彼は、前髪をいじくりながら、寂しそうにそう言った。

帰国する前にぜひ一度飯でも行こうという話になったが、帰国のドタバタで結局その約束は果たされないまま終わった。
本当はずっと彼と飲み行ったりしたかったが、客と従業員という関係性の気恥ずかしさから言い出せずにいたのを、深く後悔した。
何度も電気料金未払いの督促状とかまで見られていたのに、一体何を恥じらっていたのだろう。電気代を滞納するような男にも彼はずっと優しかったし、親切だった。

彼の代わりに入った、彼と同い年くらいの店員さんは、いつも少し不機嫌そうで、もちろん俺のタバコの銘柄など覚えてはくれなかった。
俺はそのコンビニを使うのをやめた。

他国の文化にどうこういう気はないし、そんな頭の良さも持ち合わせてはいないし、兵役というものに対して彼がどう思っていたかも知らない。
ただ、今も彼がどこかで笑顔で元気にやっていてくれれば良いと思う。
前髪はまた、伸びただろうか。俺は今も同じ街で、同じマルボロライトを吸っている。

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?