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タイガーズブラッド×ミモザ×モヒート 『手負いの、美しいムエタイ選手』

タイ料理が好きでよく食べるのだが、咀嚼しているとエッチな気分になることがある。
ふんだんに使われた香草やスパイスで身体が火照っているということももちろんあるが、多分俺が過去にタイ人の男と付き合っていたからだろう。
パクチーや八角やココナッツの香りは、いつだって俺に彼の浅黒く滑らかな皮膚の感触を思い出させる。いや、正直にいえば、彼との相性抜群のセックスを思い出すのだ。

料理だけではなく店員さんたちの話すタイ語、店内の調度品、BGM。実際には行ったことのないはずの熱帯の王国の空気が、ひどく懐かしく、それでいてたまらなく官能的だ。

タイ料理のデザートには、熱帯を思わせる官能的なフレーバーを

今にも雨が降り出しそうな、薄曇りの休日。
ランチにいつも通り官能的な気分でタイ料理を食べ、お口直しもかねてシーシャバーへいくことにした俺。
また少し季節が進み東京は寒くなった。俺は震えながら、今頃冬のない熱帯の王国にいるであろう彼を思う。

そういえばデザートを食べていなかった。今日は何か甘くて、華やかで、タイ料理の余韻と合いそうなフレーバーを頼みたい。
ということで、この日はお店のおすすめMIX、タイガーズブラッド×ミモザ×モヒートのシーシャを注文。

ミモザという黄色い花を俺はなんとなく知っているが、香りまで嗅いだことはない。
それ以上に、タイガーズブラッドとはなんだ。直訳すると「虎の血」だが、まさか本当にそんな物騒なものは入っていまい。
しかしまあ季節外れとはいえ、モヒートは俺の好きな酒だ。口に合わないということはないだろう。

ようやく慣れ始めた手つきでマウスピースを咥え、肺まで煙を思い切り吸い込むと、もうそこは熱帯の王国だった。

旅の終着点は微笑みの国だった

世界中を放浪していたバックパッカーの俺が最後に辿り着いたのは、悟りの地インドでもなければ天国に1番近い国ニューカレドニアでもなく、微笑みの国・タイ。
雨季の熱帯は蒸し暑く、雨男の俺は出歩くたびに何度もスコールに見舞われた。

自分探しなどと青臭いことを大義名分にしてはいるが、結局日本の冬の寒さや、煩わしい人間関係や、日々の労働から逃げ回っているにすぎない俺にとって、昼間から道端でおっさんたちが昼寝しているような、この国の長閑な雰囲気にはある種の許しのような安堵感を禁じ得ない。

汚いゴム草履や長旅で着古したTシャツで出歩いてもいいし、俺のような同性愛者にも寛容だ。屋台で飯を食えば金もほとんどかからない。夜毎引き締まった筋肉を持つゴーゴーボーイのパンツに挟むチップが、旅の資金を逼迫させてはいるが。

手負いの虎は強く、そして美しい

鬱蒼とした森に囲まれる大きな池には蓮の花が咲き乱れ、その向こう側には古びた寺院がそびえている。空には日本では見たことないような極彩色の名も知らぬ鳥が舞っていた。
美しいけれどどこか獰猛そうな目をしたそんな鳥たちを見上げていたら、またしてもスコールが始まった。
俺は慌てて近くの森に駆け込んで、木のかげに隠れた。空は明るい、すぐに止むだろう。

雨に濡れた髪を手でぬぐいながらふと気配を感じて足下を見ると、1人の男が木の幹に寄りかかって眠っていた。
驚いて思わず後ずさりすると、彼も目を覚まして、眠たそうな瞳でこちらを見つめ返す。2人の視線が交差した瞬間、俺は彼を美しいと思い、思わずため息をついた。

白いTシャツの上からでもわかるほど屈強な身体。浅黒い肌に、大きな瞳。それを覆う長いまつ毛。
そしてなぜか男は全身傷だらけ、アザだらけだった。

顔や体のあちこちが赤黒く腫れ上がり、顔の傷からは血が滲んでいる。
それでも男は美しかった。いや、傷だらけだからこそ、より美しかったのかもしれない。
鬱蒼とした木々の中、傷だらけの彼は、まるで大輪の花や熟れて弾けた果実のように色鮮やかだった。

雨の雫が彼の頬に落ちて、滲んだ傷跡から薄まった血液が伝って落ちていく。

「××××」

彼がこの国の言葉で何かを言った。俺は挨拶程度のタイ語しか話せない。
だが虎のような目をした傷だらけの美しい彼が、何を言ったのか、俺にはわかるような気がした。

ベッドの上でなら異邦人でも言葉は通じる

ムエタイの選手だという彼との逢瀬はいつも試合終わり。
観客の怒号が響くリングの上で彼は無類の強さを誇っていた。どれほど殴られても決して怯まない。むしろダメージを受ければ受けるほど、身体に傷を作れば作るほど、目付きは冴え渡り、凶暴な表情へと変わっていく。
その獰猛さはまさしく虎…手負いの虎だった。

その虎のような獰猛さをたたえたまま、試合後の彼は俺を抱く。
だからリングに彼の汗や血飛沫や唾液が散る度に、俺はたまらなく下品な劣情を募らせる。
凶暴な瞳で激しく俺を抱きながら、しかし彼の手つきは俺を決して傷つけまいという優しさに溢れていた。
俺はそれを不満に思う。俺にも君と同じアザや傷をつけて欲しいと愚かしいことを願う。
彼の切れた唇や瞼に舌を這わせて彼の血を吸いながら、俺たちの血が混じり合えばいいのにと。

ベッドの上で彼はタイ語で喘ぐ。俺はそれに日本語で答える。
お互いの母国語を俺たちは話せないが、それでもお互いが何を言っているのか、その時はちゃんとわかる。

花や指輪よりも彼と同じ傷跡が欲しい

彼と屋台で食事をしていた時のこと。
俺をナンパしてきたたちの悪い酔客グループを全員ボコボコにした。当然警察がすっ飛んできたが、俺は彼に手を引かれながら迷路のような路地を走り抜けた。
警察には捕まらなかったが、強く握られた俺の手首にはうっすらと彼の指の形にアザが残った。

そしてそれが、俺たちの最後の夜になった。
俺は観光ビザが切れるから日本へ帰らねばならないし、彼も結局その後警察にしょっぴかれてしまった。

降り頻るスコールの中荷物をまとめて空港へ向かい、最後に一度だけ振り返ると、道路を挟んで遠くに彼が見えた。
雨の中傘も刺さず、何も言わずに、俺を見つめている。虎のようないつもの瞳で。
俺も何も言わずそっと、手を上げるだけの挨拶をした。その手首には彼と同じ色のアザがまだ残っている。

そして俺たちの間にはこの国名物のバイクの大群が横切って、互いの姿は見えなくなる。
俺はそのまま空港へと向かい、2度と振り向かなかった。
飛行機の中でモヒートを飲みながら、彼の残した手首のアザを、生涯消えなければいいのにと思い、そっと舌を這わせてみる。

虎の血は何色だろうか

まことにいやらしい気分でシーシャバーを出た俺。

歩きながらスマホで虎の血…タイガーズブラッドというフレーバーについて調べると、ブルーベリー・ストロベリー・ラズベリー・チェリーのミックスフレーバーだということを知った。
ベリー類やチェリーの色は、どことなく生き物の血を連想させる、ということだろうか。

日頃俺は色白でヒョロヒョロした男を好み、よく関係を持つが、官能的な気分で思い出すのはいつもタイからやってきた浅黒い肌の彼である。
これまではタイ料理を食べる度に彼との情事を連想していやらしい気分に浸っていたが、これからはタイガーズブラッド×ミモザ×モヒートという雨季の熱帯を思わせるフレーバーで、彼と同じ国の、屈強なムエタイ選手との逢瀬に夢中になりそうだ。タイにミモザの花が咲くのかは、知らないが。

ちなみに今日のランチはガパオだったが、今夜はどうしてもモヒートでタイ料理が食べたい。
俺はそのまま、ランチを食べたのと同じ馴染みのタイ料理屋へと再び吸い込まれていく。
イケメンの店員が笑いながら、タイ語で何か言っている。多分「また来たのか」だと思う。このように、タイ人のイケメンと語り合うのに、言葉は重要ではないのだ。

そういえばこの店はかつて付き合っていたタイ人の彼が教えてくれた店だった。

メモ:
タイガーズブラッド×ミモザ×モヒートのフレーバーは、熱帯の王国に住む、手負いの虎のような美しいムエタイ選手。いつも傷だらけで、獰猛な光を瞳にたたえている。それでいてベッドの上ではこの上なく優しい。言葉は通じなくても、お互い全部わかっている。そう、全部わかっているのだ。


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