ミント×ライム 『胡散臭い、無職のいい男』
初めての男は、陽気で、日に焼けていて、アロハシャツのボタンをだらしなく2つ開けていて、どこにいくのにもビーチサンダルで、なんの仕事をしているかわからない男だった。
そして残念なことに、俺はそういう男がたまらなく好きなのだ。
シーシャのフレーバーの話である。
シーシャ、ロストバージン
初めてシーシャを吸ったのは、新宿。仕事の取材だった。
どんよりとした鈍色の空から、しょぼしょぼと雨が振り続ける、心底嫌になる天気だったのは、俺自身がどうしようもない雨男だからだ。
雨は降っているのに、気温が高く、爆弾低気圧で不愉快な蒸し風呂のような最悪の天気が、希死念慮すら呼び起こさせる。もう11月だというのに、どうしてこんなに暑いのか。
シーシャバー=阿片窟というアングラなイメージを抱いていた俺は、おそるおそる店の階段を降りていく。
しかしそこには清潔で、中東風の洒落た雰囲気の店が広がっていた。阿片窟のように(行ったことないけど)虚ろな瞳をした人間は1人もおらず、皆が和気藹々、楽しそうに煙を吸っていた。カウンターの中には綺麗なお姉さんが2人。笑顔で俺を迎えてくれた。
魔法のランプみたいなシーシャのボトルの前で、初めての俺はフレーバーを決めかねる。
するとお姉さんが色々と好みを聞いてくれて、甘いものがあまり得意ではない俺のために、ミントとライムのすっきりシンプルな組み合わせを勧めてくれた。
待つこと10分。
トップにフレーバーが盛り付けられ、炭が焚かれる。
人生初めてのシーシャを、おそるおそるホースから吸い込む。
ほのかな甘みと、ミントの香りが口腔に広がる。
もうひと口、次はもっと思いっきり吸い上げてみる。なんだかいやらしい気持ちだ。
コポコポコポコポ…ボトルの中の水が音を立て、魔法のように泡を生む。その中に充満した煙がゆったりと渦を巻く姿は、未来を見通す占い師の水晶の中を覗き込んでいるようだった。
吐き出したミントとライムの煙が俺の周囲を覆い、外界から遮断し、まさに魔法のように視界を奪う。
モヒートはいつの間にか俺たちを酔わせてしまう
そして気がつくと、俺はカラッと晴れた、南米の海沿いにあるバーにいた。
窓を開け放し、開けた作りのバーには昼間からビールで酔っ払っている、地元漁師風のおっちゃんたち。
バーテンの若い男の子はちょっと可愛いが、俺の視線を奪ったのはカウンターに寄りかかり、立ったままミントを沈めたモヒートを飲んでいる男。
日に焼けていて、赤いアロハシャツのボタンをだらしなく2つ開けていて、デニムにビーチサンダルを履いた男は陽気な笑顔で、グラス片手に近づいてくる。
他の客と同じように日には焼けているが、よく見ると華奢なその腕は、一体なんの仕事をしているのかわからない、胡散臭い雰囲気を醸していた。
陽気でだらしなくて日に焼けていて胡散臭くて無職っぽい男……それはつまり俺の好みどストライクということ。
まぁ、そういう男が好きなのは何も俺に限った話ではない。どうして一部のゲイと女性たちは、紳士的で安定した職業の男よりも、こんな胡散臭い男を愛してしまうような呪いにかかってしまっているのだろうか?
彼はその浅黒く乾いた腕を俺の腰に回す。そして俺たちは1杯のモヒートを2人で分け合いながら、甘い言葉を囁き合う。その甘ったるい言葉の胡散臭さ、くどさは、モヒートのミントと潮風が爽やかに誤魔化してしまう。飲みやすいようでいて、しかし確実に俺は色々なものに酔っていた。それも自ら進んで。
腰に回されていた手はいつの間にか俺の尻のあたりに当てられている。
「×××××」
彼がちょっとここには書けないくらいダーティなことをニヤニヤした表情で言って、情欲を掻き立てる。
ビーチサンダルからはみ出している、彼の土汚れが詰まった汚い巻き爪すら俺には性的だ。
バーのテラス席。いちゃつきながら俺たちは何杯目かのモヒートを注文すると、突然のスコールが降り始める。
デニムの尻ポケットからくしゃくしゃになったタバコを取り出して、彼は言う。「雨の日は、煙草がうまい」
雨に濡れた彼の癖毛がくるんと額に張り付いて、それもまた俺をたまらない気持ちにさせるのだった。
彼の舌と唾液からは、ニコチンと、ミントの香りがする。多分、俺も同じだ。
雨の日は煙草がうまい
空になったモヒートのグラスの中、氷が溶けて崩れるカラン、という音で俺は現実に引き戻された。
煙が見せる幻想の中で飲んでいたはずのモヒートの残骸が、カウンターに座る現実の俺の目の前にもあった。
いつの間に注文したのだろうか。もちろんドリンクは別料金だが、まぁこれも取材費として経費で落としてしまえばいい。俺はこの仕事が大好きだ。男との色恋沙汰と同じくらい。
店を出ると、雨はすっかり上がっていた。
そういえば事前のネットリサーチで「雨の日はシーシャがうまい」と書かれた記事を読んだ気がする。
そして俺は同じようなことを言う男がかつていたことを思い出す。
おそらく人生最愛の男。最後まで恋人にはなってもらえなかったが、彼もまた雨の日の煙草をこよなく愛していた。まだメビウスがマイルドセブンと呼ばれていた頃の話だ。
彼が愛するものは雨の日の煙草以外にふたつあった。自宅の庭で植物を育てること、そして俺と寝ること。
俺と寝ることは愛してくれたが、俺自身を愛してはくれなかった。
でも雨男である俺と一緒にいれば雨の日の煙草をたくさん吸えるし、二日酔いの朝でも庭に植えられたたくさんの植物の水やりをサボることもできる。
広い庭にはミントも生い茂っていた……ような気がするが、それはたった今吸ったシーシャのフレーバーによって、ロマンチックに記憶が改竄されているだけかもしれない。
なんにせよ雨上がりのあの庭は、水滴が日差しを反射して、緑がとても美しかった。俺はベッド脇の窓から、裸のままそれを眺めているのが好きだった。彼と1本のマイルドセブンを吸いながら。
シーシャのフレーバーは男に似ている
初めてのシーシャの強烈な余韻が、かつての激しい恋の余韻まで呼び起こしたのか。
ミントの花言葉は美徳、真心。
皮肉なことに、俺にとって初体験のシーシャは、そのどれも持ち合わせない、つまり俺のどストライクな男との邂逅となってしまったようだ。
シーシャの煙は男と似ている。
もっと他のフレーバー(男)を試せば、自分にピッタリ合う人が見つかるだろうか?
恋愛もシーシャも、俺のフレーバー探しは、まだ始まったばかりだ。
メモ:ミント×ライムのフレーバーは、モヒートのような危険な香り。陽気で胡散臭くて無職っぽい男。金も真心もないが、どういうわけか最高にいい男。
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