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横山健という男

横山健という男を知っているだろうか?
伝説のパンクバンド、「Hi-STANDARD」「Ken yokoyama」のギタリストである。俺が健さんに出会ったのは確か高校一年生の頃。同じクラスの友達が健さんを好きだったこともあって、俺に何曲か教えてくれたのを覚えている。その当時はあまりピンとこなかったが、ジワジワと魅力に傾倒していくのである。

高校3年生になる頃にはどっぷりと楽曲に触れるようになった。その当時はハイスタの横山健というよりかはKen Bandの横山健という印象が強かった。というのも俺が知るとうの昔にハイスタは活動休止していたからだ。だがKenバンドは当時からバリバリ活動していたという背景もあって、Ken yokoyamaの楽曲に触れることが多かった。

当時、YouTubeで動画を漁りまくった。雑誌も買って、ギターにはステッカーも貼った。それくらい健さんが好きだった。何が好きなのか?と言われると正直わからないが、自分には存在がカッコよく見えた。もちろん曲も好き。俺はギターを弾くので、オリジナル曲を作る際はリフやソロ、全てにおいて影響を受けてきた。

それからというものの、何年かは横山健という存在からは遠ざかっていた気がする。曲は聴いていたけれど、その程度の度合いだった。

時が経ち、今から4年前の2016年3月10日、その当時付き合っていた彼女に「健さんのライブ観に行かない?」と誘われた。ライブに行こうとは思っていなかったが、まあ行ってみるか、軽い気持ちでライブに向かった。

そこで大事なのがどこでやるかだ。言わずもしれた「日本武道館」とても神聖な場所だ。俺はそこに彼女と向かった。

ライブが始まるや否や、すごい熱気に包まれた。俺はどちらかというと、ライブを生でみるより映像で見る方が好きだったけど、そこから考えは変わった。みてる観客、熱気、曲、そして健さんの発する言葉。

衝撃を受けたのを覚えている。やっぱりライブは生で見ると全然違った。

そこからというものの、横山健にという人物が大好きなった。これがカリスマって言うのかな。

恥ずかしい話、彼に影響され着る服も変わった。当時は「下北にいそうな人」と言う例えを多くの人に貰うくらい、下北沢が好きだった。今は古着を着たりと言う事はもうなくなったが下北という街は好きだ。大学生の頃は週3くらいで入り浸っていた。

Tシャツにパンツはディッキーズ、そんな服装がここ数年続いている。きっとこれからはこのスタイルが変わることはないと思う。

ただそれだけではファッションパンクと同じだろう。真理として「健さんみたいになりたい」というのはもちろんある。けど当たり前だけど本人にはなれない。それがわかっているからファッションだけは真似したい。と思うんだろうね。少し近づいた感はあるからさ。

パンクシーンのカリスマであること、音楽をやる上でとても重い十字架を背負った人、父親であること。彼にはミュージシャンであると同時に様々な肩書きがある。

もちろん俺は実際に会って話をしたこともない。彼の全てはわかるはずもないが、メディアや書籍を通して彼の思想やスタイルに共感を覚えた。音楽を通して、横山健という人物を通して、大袈裟かもしれないが、人生を学んでいる気がする。

だからそんな彼に出会えてよかった。これからもシーンのど真ん中で音楽を鳴らして欲しいと思う。

俺が生まれた頃、丁度ハイスタが活動を始めた。当時健さんは27、28くらいなのかな?となると今の俺と同い年くらい。時代が進めば、同じ状況になるだろう。俺が50歳近くになれば、今産声をあげてこの世に誕生した子たちが俺と同じくらいの年齢になる。その事実になんだかロマンを感じてしまうのだ。きっと時代も大きく動いている。その頃には健さんはもうこの世にいないかもしれない。

そうなった時に、俺がパンクロックから教わったことを次の世代に伝えていかなくてはならない。俺にはなんだかそんな使命があるような気がしているんだ。

それは音楽という直接的なものではないかもしれない。だけど、他にも方法は沢山ある。俺はそれを文字を伝えていきたい。発信していきたい。

「生きているだけで価値あるんだ」という気持ちを自認してほしい。それを知らない誰かに伝えていきたい。

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