見出し画像

祖父の3回忌に行った話

母方の祖父の3回忌が行われた。
母の実家は京都なので、東京から新幹線で向かった。

「黒っぽい服やったら喪服やなくてええで」と母が言った。
3回忌に参加するのは母、父、祖母、弟夫婦と私(夫は動かせぬ仕事により気持ちのみ参加)で、なんともコンパクトな集まりとなる。

祖父が亡くなったのは一昨年の4月である。
更にその2~3年ほど前に、当時入院していた病院から突然「危篤です」と連絡が来て、慌てて新幹線のチケットを取った頃「やっぱり大丈夫です」と更なる連絡が来るなど、安心と心配が五分五分くらいの状態だった。その撤回された「危篤です」の時に、私と母は一度京都へ帰っている。私は一応喪服も持参していて、そのまま京都の家に置いて帰ることになった。「まぁいつどうなるかわからへんしな」と冗談半分、備え半分だ。祖父は長寿であった。
米寿まであと少し。
亡くなった時、祖父は87歳だった。

私の喪服は数珠、パンプス等とあわせて、京都の家に置いたままだった。なのでさいあく、現地で着替えることができる。
その喪服がスカートだったか、パンツだったか、女性の喪服というと基本的にはスカートだったような気がするが、と思いつつ、記憶は定かでなかった。
そういえば本当に長らくスカートを穿いていない。ロングスカートは1,2回あったかもしれない。足が見えるスカートは恐らくほぼ穿いていない。足が見えるスカートは、私にとっては「コスプレ」に近い。なのでコスプレなら全然穿ける。多少短くてもコスプレキャラを表現できていれば何とも思わない。だが、日常生活で自分の好みとして穿くことはない。自分が嫌な気持ちになるからだ。生理的な問題なので仕方がない。

ただ、冠婚葬祭の場では自我を押し殺した方が結果的に楽なこともある。

だが今回は非常にコンパクトな場であり、3回忌は自宅でお坊さん(現地では、「おっさん」と呼ぶ。アクセントは「お」に来るので「お↑っさん」である)がお経をあげてくれるところに、みんなで寄り添うという集まりだ。
親戚が来たり、大人数が集合する場ではない、身内の身内という、こじんまりした家族の集まりだ。

最近、心地よい生地の、フォーマルにもカジュアルにもとれそうなメンズのジャケットとパンツスーツを買った。ジャケットはオーバーサイズだが喪に服す場にいても、多分そこまでおかしくない。
私はそれを着て行った。
母か祖母が気にすれば、現地で着替えようと思った。
祖父に会いに行く場で優先すべきは母と祖母であると思っていた。

家に着くと、母が開口一番言った。
「ああ陵はそのままでええな、服」
ええんや。と思った。祖母はどうかなと思ったが、気にしていない様子(に見えた)だったので、まぁ、ええんや。となった。

その後、「おっさん」が「単車」でやってきて、お経をあげてくれた。
仏壇のろうそくが「和ろうそく」なもので、これが燃えやすい性質らしく、近くに備えてある花に燃え移りそうなくらいごうごうと燃えるものだから、祖母はとにかくそれを心配していた。
和ろうそくがごうごうと仏壇で燃え盛る中、「おっさん」は謡うようにお経を唱え続けた。YoutubeでよくあるASMRのような感じだ。30分は続いた。恐らく。わからないが。その間に私は2度足が痺れ、2度回復した。あとから家族で「お経いつもより長なかった?」と確認し合ったくらいには長かった。

長いお経が終わった後、「おっさん」が和ろうそくの経験談を話してくれた。そちらの業界に詳しくないので細かいところは失念してしまったが、確か法要か何かの後の話だ。「ろうそく消しといてくれー言われまして、せやけど和ろうそくやったもんやから、なかなか消えへんのですわ」と言う。和ろうそくをスムーズに消すための仏具らしきもの(多分こう、炎を挟んで酸素を断って消す系のやつ)があるらしいのだが、その日は持っていなかったらしい。その話の間も、祖父の和ろうそくはごうごう燃えていて、「昔は炎が燃えとるとね、亡くならはった人が帰ってきて喜んではるんやねーとか言うてましたけどね」とみんなで話しつつ、心配がって祖母が下敷きなのか盆なのかよくわからない板状の物で必死に炎を消そうとし始め、みんなは祖母が転んだり炎で怪我をしないか心配で「やめときやめとき」と少し騒いだ。

その後、注文してあった少し大きな弁当をみんなで食べた。なんか、こういう冠婚葬祭の日に食べる用の、ちょっと彩り豪華なやつだ。天ぷらは冷めていたが美味しかった。
「集まれてよかったなぁ、おじいちゃんに感謝やな」と誰もが言っていた。
おじいちゃん。病院の危篤ビックリの日に会ったきりで、亡くなった時はコロナ禍により葬式には出られなかった。会った日、祖父はけっこう耳が遠くなっていたが顔色はよく、表情は明るかった。その記憶そのままの遺影が壁に飾られていたので、携帯で写真を撮った。
ああ私はおじいちゃんに会いに来たんやなぁ、と思った。

その日に私と弟夫婦はそれぞれの家に帰った。私は東京、弟夫婦は香川だ。母はしばらく京都に滞在し、父は私たちを近隣の駅(と言っても京都の実家が山奥なので非常に遠い)に送り届けた後、一度また山に帰り、そして実家の愛媛(私の故郷は愛媛である)に戻る。

車に乗る時、弟の奥さん、仮にさくらちゃんと呼ぶが、さくらちゃんはちゃんと喪服を着ていた。さくらちゃんはファッションコーディネーターだ。ボブの髪が少し茶色くて、肌が白く、こげ茶系に見えるストッキングを穿いていた。これもコーディネーターたるバランスなのだろうか、暗い色のストッキングは素敵だと思った。私も暗い色のストッキング、あるいはタイツと合わせるなら膝丈のスカートくらいは穿けるかもしれないなぁ、と思った。スカートじゃなくキュロット形式のものでもいいかもしれない。今の段階ではあまり気は進まないのだが、似合っていると自分で思うことができれば、多分着られる服の幅は広がるだろう。それはとても普通に、楽しいことだ。

余談だが、母はさくらちゃんに似合う服と髪型を相談させてもらっている。私の「すぐショートカットにしてしまう病」は母譲りなのだが、母も今はさくらちゃんのアドバイスで、髪を伸ばそうとしているらしい。今これくらいやねん、と母が言うと、その調子です、とさくらちゃんが言う。楽しそうである。楽しいのはいいことだ。


そうして、祖父の3回忌を終えた。

忙しいなら無理して来なくてもいいと言われていたが、そりゃあ行って会った方が嬉しいものだ。私自身、最初は原稿が心配で欠席するつもりだったのだが、なんとなく行った方がいい気がしてきて、行くことにした。行った方がいい気がする、というのは、いいのか悪いのかよくわからない直感でもある。なのであえて行かない方がいいのか、直感に従って行くべきか悩んだ。

そして結局行った。行って、祖母と別れる時に「また来るわ」と言った。言霊は大事なものだ。こういう場面での言葉はフラグではなく暗示だと思っている。

近いうちに、今年中くらいに、また京都へ行こうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?