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反応しない練習/草薙龍瞬
よそはよそ、うちはうちとわかっていてもつい反応してしまう。
そんな方におすすめの一冊。こちらを読んでみたので、思考をまとめていく。
こうして、心の状態、体の動作を、客観的に言葉で確かめる習慣を身につけるのです。
実践していくと見えてきますが、言葉で確認すると、「反応から抜け出せる」のです。反応から抜けると、心は落ち着きを取り戻します。
→言語化し、確認することで余計な反応をなくす。
仏教が目指す「正しい理解」とは、逆説的な言い方になりますが、「正しいと判断しない」理解です。そんなことより「真実であり、有益である」ことのほうが大事ではないか、と考えるのです。
→真実を見つめ、前向きに進む。
誰かのことを好きか嫌いか、いい人か悪い人かと「品定め」している自分に気づいたら、「あ、また判断している」と気づきます。よく友人や家族の間で、誰かの「人物評」をすることがあるでしょう。そういうときはお互いに、「まぁ、判断にすぎないけどね」といった”気づき言葉”を入れるとよいかもしれません。
→冷静に客観的に自分の判断を見つめる。
「人は人。自分は自分」という明確な境界線を引くのです。
この考え方ほど、大事なことはありません。世の中はたしかに、判断好きな人がいます。しかし、自分も同じことをする必要は、ありませんよね。
→この考え方を体現する。
「過去を引きずる(過去を理由に今を否定する)」というのが、それ自体、心の煩悩、邪念、雑念なのです。
→過去は過去。今は今。今何をすべきか。
というのも、「苦しみのない心」を人生の目的とする以上、「反応して心を乱されることは無意味である」と、はっきり知っていたからです。どのようなときも決して反応せず、ただ相手を見すえて、理解するのみーその立場に徹していたのです。
→反応は無意味。理解するのみ。
承認欲があるのは、当たり前です、問題は、そこからなぜ「他人の目を気にしてしまう」のかの理由、つまりプロセスです。①「認められたい(自分の価値にこだわる)欲求がある」⇨②その欲求で反応して、「どう見られているのだろう」と妄想するーこう考えると、理由が見えてきます。つまり”承認欲が作り出す妄想”ーそれが「気になる心理」の正体です。
→承認欲は不要。捨てる。
というのも、他人が認めてくれるかどうかは、他人が決めることであって、自分がコントロールできるものではないからです。他人の評価を「目的」にしてしまうと、そこから「他人の目が気になる」心理に突入してしまいます。
→他人の目を気にしない。
そうした人々の苦しみを、まずは思いやること。理解すること。「みんな、よく頑張っているな」と思うことです。
→みんなよく頑張っているなという目で人を見るように。
本人の「妄想」の中にのみ、「もっとできるはずの自分」が存在するのです。でも、そうした妄想に執着しても、自分はみじめになって苦しいだけですよね。いつも、「等身大の自分」があります。
→妄想しない。等身大の自分に向き合う。
過去や他人を恨むことではなく、これから先を悪く想像することでもない。自分を責めることでもありません。
「この生き方に間違いはない。いざというときは、この心がけに帰ろう」
そう思えることが最高の答えです。
→自分の生き方を信じること。
以上だ。
他人に反応せずに、冷静に。
非常に大切な考え方だと思う。
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