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90秒で学ぶ!逆説の日本史1⃣古代黎明編(第二章)

今回は井沢元彦「逆説の日本史1⃣古代黎明編」(小学館文庫)
の第二章を90秒で紹介します。

第二章 大国主命編

国譲り神話

国譲り神話とは、712年「古事記」に書かれた、出雲の神、大国主命が天照大御神を中心とする高天原の神々に国を譲るまでの過程を描いた物語です。

この物語で最も注目すべき点は、出雲の先住民族である、大国主命が天皇家の祖先である天照大御神に自分の地域を「話し合い」で譲ったということです。

話し合いによって国譲りが行われたということは前章でも述べた
「わ」の精神を表していると言えます。

しかし、これを言うと「古事記に書かれている神話は皇国史観を植え付けるために書かれたもので、でっち上げだ。」という意見があります。

確かに、神話には誇張や、自己の体制を都合よく捏造している箇所はありますが、少なくとも話の核になった事実があります。

私たちにとって大切なことは、神話は嘘であると淘汰するのではなく、
神話を読み解き、当時の人の価値観を理解することです。

それらも含めて、国譲り神話を詳しく見ていきます。

結論から言えば、
国譲り神話は、
天皇家が武力で出雲の先住民族を圧抑したことがモデルになっていると思います。
そして、勝者の天皇家が大国主命を出雲大社に祀ったということです。

ここで、二つの疑問が湧きます。
一つ目は、なぜ武力行使ではなく話し合いで国が譲られたという話を作ったのか。
二つ目は、なぜ屈服した側である大国主命が天皇家によって祀られているのか。

まずは二つ目の疑問から、
それは、簡潔にいえば、武力を行使した天皇家が、大国主命の怨霊や祟りを恐れていたからです。

その一番の証拠として、出雲大社は、当時日本で一番高い建物だったことが挙げられます。
これは天皇家の御所よりも出雲大社が高いということです。

史料では、怨霊信仰が日本で行われたとされるのは、平安時代からです。
しかし、隣の中国では殷の時代(紀元前17~11世紀)に怨霊信仰があり、それが紀元前660年~紀元後2~3世紀の日本にも伝わっていてもおかしくありません。

つまり、当時の日本にも怨霊信仰があり、大国主命の祟りを恐れ、
日本で一番豪勢に祀ったということです。

では一つ目の疑問である、なぜ、国譲り神話を作ったのか。
それは、天皇家が「わ」の精神、話し合い、協調性の大切さを国民、あるいは子孫に伝えたかったのではないかなと思います。

どういうことかというと、これもやはり、怨霊信仰と関係しています。
当時、争いが起きると、負けた方の「祟り」が起きる。
祟りが起きると、世の中は不安定になる。と考えられていました。

だからこそ、祟りが起きて、世が乱れることを防止するには、
そもそも争いが起きないようにする事が大切です。
そして、争いを未然に防ぐには、「わ」の精神、協調性が大切であるということです。

それゆえ、国譲り神話は(天皇家の過去の経験から)「わ」の精神が大切だと問うているのではないかと思います。

まとめ

今回は井沢元彦「逆説の日本史1⃣古代黎明編」(小学館文庫)
の第二章を90秒でまとめました。

正直な事を言えば、史料が無いので、どうにでも解釈できると思います。
それも含めて日本の歴史にはロマンがあるなと思います。

今回の国譲り神話がなぜ作られたかについては、私の主観を少し交えました。

また、近年は、考古学の観点からの古事記や神話の研究が進んでいるみたいです。それも含めて、新たな研究に期待です。

今回は以上です。
「逆説の日本史」シリーズとても面白いので、興味があれば、読んでみてください。

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