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ついにモンゴル到着~蒼き狼に会いに#3~

時刻は11:00を少し過ぎていた。

韓国発ウランバートル行きの飛行機の入り口ゲートに並んでいる。

当たり前のことだが、韓国人とモンゴル人しかいない。
ここで昨日から、ずっと頭の中にある事を言いたい。

「なんでこんなに声がでかいねん!やかましいわ!」
ハングル語、そしてモンゴル語を4,5人グループで大笑いしながら、話す連中。それに加え、普段聞き馴染みのない言語なだけに、雑音にしか聞こえない。

古代ギリシャ人が異民族のことを「バルバロイ」と呼んだことが少しだけ理解できたような気がした。
(決して悪気があって言っているわけではないのでご理解いただきたい。)

しかし、大昔の人はスマホも情報もない中、どうやって異民族の人と交流していたのだろうか。そんなことを思った。


韓国からウランバートルまでは約3~4時間。
日本との時差は1時間だ。

飛行機に乗り込んで辺りを見渡すと、お客様が意外と少ない。
65%位の満席率だった。
ちなみに席の配列は2席、通路、4席、通路、2席だった。
私の席は2席のうちの1席だ。

想像していたよりも空席が目立ち、私の隣の4席が前3列すべて空席だった。

隣の席も空いており、ゆとりがあったので、出発後すぐに眠りにつくことができた。

砂漠
(韓国→ モンゴルの飛行機)

2時間後、なんか騒がしいなと思い、目を覚ますとそこには衝撃の光景が広がっていた。

なんと私の隣の4席、前の4席、そしてその前の4席にモンゴル客が座っていて、グループでペチャクチャ話をしていたのだ。

「モンゴルの人は、飛行機でも移動をするのか」
そんなことを思ったが、自分も空席があって友達といるなら、広いところに行くだろうと思う(笑)

そんな調子で、新チンギス・ハーン国際空港に到着した。
空港の名前にもモンゴルの英雄チンギス・ハーンの名前がついているのか。
凄いなと思った。

チンギス・ハーンと言えば、モンゴル帝国を築き上げた人物だ。
彼らは、ヨーロッパはポーランド、アフリカはエジプトの手前、そしてアジアは朝鮮半島まで領土を広げているのだからすごい。
モンゴル帝国は大英帝国に続いて、史上2番目の最大領土を獲得した国でもあった。
また、モンゴル帝国の時代から本当の世界史が始まったと主張する学者もいる。それだけ、世界に大きな影響を与えたがモンゴル帝国のチンギス・ハーンである。

そんなチンギス・ハーンだが、敗戦国からすれば、虐殺された憎しき相手であろう。

そんな彼の名前が空港に付けられているのだからすごい。

日本で、例えば豊臣秀吉国際空港などを作るようものなら、大手の新聞社やテレビ局、隣の国までがその空港をバッシングし炎上するだろう。

果たして、空港の名前にチンギス・ハーンと付けて問題はなかったのか。
そんな疑問が湧いたのでちょっと調べてみた。

残念だが、私の情報収集力では見つけることができなかった。

しかし、代わりに興味深い記事を見つけることができた。

2021年に開港した新チンギス・ハーン国際空港だが、
実はこの空港の運営に三菱商事、成田国際空港(NAA)、日本空港ビルデング、JALUXの日本企業とモンゴル企業が携わっているそう。
契約期間は15年なので、2036年まで日本企業が関わるそうです。
そういえば、空港内に日本とモンゴルの関係が書かれていた記念の看板があった。 (写真を撮るの忘れた!)

話は逸れるのだが、
(日本が海外の国に援助しているという意味では関係がある)
「日本の財政は赤字であり、借金まみれで増税しないと日本経済が破綻してしまう。」
というようなことがメディアで報じられるが、実は日本は世界最大の対外純資産国であり、ドルの保持率も世界で2番目に多いという事実がある。


それは置いておいて、
話を戻すと、モンゴルに到着した瞬間、現代でもチンギス・ハーンがものすごく国民の生活に入り込んでいるのが感じ取れた。
それだけ彼らにとってチンギス・ハーンは偉大なのだろう。

新チンギス・ハーン国際空港から首都のウランバートルまでは車で約1時間半、タクシーで行くのがいいのだが、
ここで今回の旅で一番のやらかしをしてしまう。到着出口を出た瞬間に、個人タクシーのおっさんに引っかかってしまったのだ。

つづく



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