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休職者を支援してきて

私は、鬱等の理由から離職された方の支援を行ってきました。

私は大学院で心理学、そして哲学を学んでいました。
今の会社に就職したのもそれを生かせれば、と思ったからです。

朝、出勤し、前日の記録を確認します。誰がどういう状態だったかなどです。
そこで、頭の中で彼らのゴールと、今との間の中にある空白を思案します。

誰々さんは、ストレスの認識力がまだだからとにかく認知行動療法を習慣化させよう。そのために、励ましの言葉と、途中で認知行動療法を中断してもらうタイミングを気をつけよう(認知行動療法は、中々に精神的負担が高いので)。それがある程度までできるようになったら、休職前の課題に段階的に取り組んでもらおう………

こういった具合に、とにかく脳を高速に回転させます。ただ私は頭の中だけでやると、混乱するので紙に書き出してやっていたりしました。

もちろんこういった思案は、常に行いました。私はこの仕事に誇りというか、プロとしてやらなければと思っていましたし、また彼らから生きることへの姿勢もそうですし、恥ずかしながらですが知的好奇心という観点からも刺激をもらっていたので、とにかく常に彼がどうすれば今より少しでも幸せになれるのか?を考えていました。

私たちの利用者の方はみな、私よりずっと社会経験豊富な方たちということもあるにはありましたが、そういうことや、彼らが精神障害者であることなどを、忘れて接する時間とそうでない時間をしっかり分けようともしていました。

これはより良い支援のためです。 
同僚や上司にもいますが、結構な人が、
自分/障害者として支援することで、客観的に見ることができ、良い支援が出来ると思っている節があります。   

ですが、私より経験豊富なこと、障害者なことを忘れる、というよりカッコ書きに一度して、彼らと接することで見えてくるものがあるのです。

この考え方は、いまの精神医学や障害福祉の流れに通ずるものがあるかと思います。例えば当事者研究や斉藤環先生が進めておられるオープンダイアローグです。

これらでは、対話が重視されますが、そもそも真の対話というのは信頼関係がないと成り立たないのかな?と私は思ったりするので、近いように思う次第です。