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完璧は求めない。だってそれは、この世のどこにも存在しないのだから。
作品ができたら、発表しよう。
技術が上手くなったら、SNSに上げよう。
そんな完璧主義はやめよう。
だって単純に、生きづらいじゃないか。
この記事は、
しがないフリーシナリオライターが送る、
「完璧」を求める人に向けた疑問提示である。
《完璧主義について、考える》
だがしかし、
完璧主義にも強い理由はある。
恥をかくから、
誰かに負けるのが嫌だから、
完璧な人だと思われたい、尊敬されたいから。
人それぞれに理由はあって、
もっと沢山、見渡す限りの訳がある。
それを否定するつもりもないし、
今の自分だって気づかない内に、
完璧を求める思考になることがある。
だったら考えてみよう。
「完璧主義」のメリット・デメリットは、
一体なんだろうか? と。
まずはメリットから考えてみよう。
完璧というものは確かに憧れるし、
目指すべき理想としては大きな原動力だ。
上を見れば、
きっとそこには完璧な人たちがいる。
成功し、富と名声を得て、
憧れ嫉妬するようなスターたちが沢山いて。
あんな人になりたいと思うのが、
行動力を生み出すキッカケにもなる。
(反論もあるが後述。まずはメリット)
他にもメリットはある。
完璧な物を産み出し続ければ、
それが1つの個性にもなるだろう。
クオリティの高いコンテンツを作る人、
と認識されるのは想像するだけで嬉しいし、
それを目指すことは決して悪いことじゃない。
上手くいけば多くの尊敬を得られるだろう。
また、自信の弱点を隠すという点も、
戦いという場ではいい戦術だ。
甘く見られない、舐められない。
それは稚拙なようで、
人と関わる社会では意外に重要なことでもある。
人間はどこまで行っても、
生物的本能から逃げられないのだから。
そして、デメリットも存在する。
完璧を求めること、
それ自体は何も不健全ではない。
むしろコンテンツを作る中で、
自分が納得できるものに全力を注ぐのは、
当たり前のこと。
だが私はこう思う。
求めるものと到達すべき場所は、
決してイコールではない。
10km走れない人が、
それを目標にトレーニングするのはいい。
でもゴールを10kmに設定していては、
いつまで経っても成功体験は得られないんだ。
では目標は目標として、
そこまでに小さな目標を立てて、
進めていけばいいのか?
いや、それだけでは足りない。
どれだけ小さくとも、
そこに完璧を求める限り、
多大な時間と労力を消化することになるから。
何故そう言い切るのか。
答えは簡単だ。
「完璧」という言葉が、
「とても曖昧な目標」だから。
「完璧」を、あなたは説明できるか?
完璧という言葉にメスを入れよう。
辞書で調べてみると、
そこにはこう書かれてある。
足りない部分や欠けている部分が一切なく、みごとであるさま。完全であるさま。
《引用元:Weblio辞書》
この中でも「一切なく」という部分が、
完璧における肝であり、
最大の欠点とも言えるものだ。
数学やテスト問題など、
求めるものがきちんと定義されているなら、
完璧はあり得る話だが……
そもそも、
この世のほとんどの物事に、
「完璧の状態」なんてものは存在しない。
特に創作においては当たり前だが。
「これには欠けているものがない!」
と明確に示せる根拠そのものを、
自分たちが持っているケースなんて、
ほとんど在りはしないのだから。
イメージしやすいイラストで考えてみよう。
沢山の神絵師と呼ばれる存在がいる。
そんな人たちの絵を見て、
イラストレーターを志す人も少なくない。
では、その人たちの絵に対して、
「完璧かどうか」という判断をしてみよう。
1枚だけじゃない。
色んなイラストレーターの絵を並べて、
それでも完璧と言えるだろうか?
言える言えない、どちらでもいい。
判断ができたら次のステップとして、
「その理由」を明確な言葉にしてみよう。
つまりは「何も欠けていない」という、
証明をしてみせられるのか?
構図、線画、塗り、光源、テーマ……
大小のあらゆる要素を分析した結果、
何も欠けていないという証明ができればいい。
これで説明できないのなら、
そもそも貴方の中で、
完璧という答えは存在していない。
しっかりと論理的な説明ができるのなら、
貴方の中にある完璧は素晴らしい精度だ。
技術があるのなら、
完璧を目指した方がいいかもしれない。
完璧は、あり得ないもの。
まあ恐らく、
「欠けていないとは言い切れない」
という結論に達するだろう。
それこそが、
「完璧とは曖昧な目標である」という証明で。
完璧主義というものが、
いかに見えないゴールへと突き進む、
ハイリスクなものであるとも証明される。
結論として私は……
「完璧」とは求めるものであり、
到達すべき場所ではない。
のだと思う。
地図もコンパスもない状態で、
富士の樹海に降り立つようなものだ。
そしてそれは、
長期的にも短期的にも言える。
商品を作るという長期的なスパンも、
商品の中の一部を作り完成させる、
そんな短期的なスパンも。
あらゆる場所に完璧という亡霊は存在する。
どこまで完璧を求めて、
どこを到達点にするのかは人それぞれだが……
自分が行っている、
具体的な「完璧主義から抜け出す方法」を、
提示して終わろう。
それは……
できる限り短期的な部分で、
自分の成果を発信し続けること。
ここで言う成果は、
成功も失敗も、アイデアも没案も全てだ。
失敗は恥じゃない。
過去の大言壮語だって、恥じゃない。
完璧を作ろうと無駄にもがくことこそ、
人生における本当の恥だとすら思う。
プライドがあって失敗なんて言えない?
じゃあプライドを捨てればいい。
それでも言い訳を並べてしまうなら、
今一度、考えてみてほしい。
その「完璧を求めるプライド」の、
メリットとデメリットはなんだ? と。
今日からnoteで新企画を始めます!
— 恒石涼平@笑いと鳥肌を操るシナリオライター (@ryodist) July 5, 2020
その名も…… #美しょゲを作ろう !!
これから新しく美少女ゲームを作ります。
その制作過程を、1から10まで全て公開するよ!
今回は事前準備。
大まかなアイデアや制作の流れとかまとめてます!
応援よろしく!#美少女ゲーム #notehttps://t.co/Tbs0xTYZ6P
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