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子供の幸せを願う 不登校の息子の父親として自分も成長する

親が子供に望むもの
それは
「幸せになってほしい」ということ

だからこそ子供には
「辛い想いをしてほしくない」
「苦しい想いをしないでほしい」

そう想うからこそ、親として最大限サポートしてあげたいし、応援してあげたい

そして、子供が幸せに進めなそうな場面があると、すごく反応してしまう

例えば、いま息子が小学1年生になり、その対応・反応で妻と気持ちの違いから、真正面から意見がぶつかる

妻は「少しぐらい辛くても勉強は大切だから学校に行きなさい」「なんとか行かせたい」
だって、将来勉強が出来れば、ある程度仕事に困らず大人になれるから、最低限の幸せを手に入れられる

夫である僕は「辛いことを無理やりさせても幸せにならない」「遅かれ早かれ、本人が前向きになれてチャレンジしたいと思うタイミングが来たら背中を押したい」「いまは家でも自己肯定感を高める働きかけが出来る」
だって、自己肯定感があって、チャレンジ出来る気持ちが出てきたら自分で人生変えていけるので、焦らせて気持ちを挫きたくない

つまり子供の幸せを考えるとき、「最低限の幸せとは?」に対する希望がみな違うということなんですね

「最低限」も「幸せ」も両方人によって定義が違うので、「育て方」の理想が変わってくるのですね

ぶっちゃけ、大人も子供もどんな経験からでも学べるので無駄なことは何一つないのですが、自分の子供のこととなると焦りが出ることはあります

ぼく自身も焦らず成長ですね


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