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こどもの「早くする」、親の「早くする」①時間感覚

「自分の時計は何にでもあてはまると、なにげなく信じ込んでくらしている」

こどもを育てながら毎日を過ごしていると、こどもに対しイライラしたり、「イライラしてる自分ってダメだなぁ」なんて思ったりすることが良くある。

早くしてほしい時に全然動き出さない。やめてほしいのに全然やめない。

自分もこどもの時はそうだったし、頭ではなんとなく理解しているのに、つい、というか当然のように怒ってしまっている。

そんなすれ違いが生まれている原因の一つに
こどもと親の時間感覚の違いがあるらしい。

時間の概念について知りたくなって、いろいろと調べてみた。

『ゾウの時間 ネズミの時間_サイズの生物学』

『ゾウの時間 ネズミの時間_サイズの生物学』本川達雄著では、次のように書かれている。

時間感覚は生きもののサイズによって変わる。時計のような絶対的な時間は本当はないのであって、個々の生きもののサイズに対応した主観的な時間があるのみである。
ゾウにとっての一秒は「あ」にも満たないかもしれないが、アリにとっての一秒は「あーっ」というふうに長い。

恥ずかしながら、時間や時間感覚なんて考えたことも無かった。
言われてみれば自分が感じている時間の感覚なんて、確かに主観でしかないし、他者からしてみれば、違う時間の感じ方をしているということも理解出来る。

楽しい時(集中してる時)、つまらない時(集中していない時)の様に、「なんとなく時間の感じ方って、その時々で違う」と自分自信感じているが、「それは他者も同じで、人それぞれ時間の感じ方も違う」というふうには考えていなかった。

他者とのコミュニケーションにおいて、疑うこともなく自分の時間感覚が基準となり、相手との時間の差異が生じた時、相手の方が「遅い」「早い」と判断している。
自分の方が「遅い」「早い」とはあまり考えもしていない。

『時間は存在しない』

別の本を見てみると
理論物理学者のカルロ・ロヴェッリは著書『時間は存在しない』の中で
「宇宙全体に共通な”今”は存在しない」と書いている。

場所の違いによる時間の相違は物理学の世界では常識。
地球の重力に近い低地にいる人の方が時間はゆっくり進み、高い山にいる人の時計は早く進む。
物体は周囲の時間を減速させる。地球は巨大な質量を持つ物体なので、そのまわりの時間は遅くなる。山より平地の方が、減速の度合いが大きいのは、平地の方が地球(の質量の中心)に近いからだ。
時間に客観的な基準はなく、同じ時間を共有できるのは、物理的に自分しかいない。


『ジャネーの法則』

時間の感じ方について別の考え方があるらしいので、引用だけしておきたい。

フランスの哲学者ポール・ジャネーと、心理学者ピエール・ジャネーの「ジャネーの法則」というものだ。

「人間の体感時間は、それまで生きてきた年齢に反比例する」

子供の体感時間は大人の数倍以上の長さ。(5才の1年は1/5。30才の1年は1/30)

「自分の数倍濃密な時間を生きている」とジャネーの法則を説明している人もいた。
こどもに対して、このような気持ちをいつも持ち続けたいと思える時間の捉え方だ。

今まで引用してきた時間感覚、認識
①『ゾウの時間、ネズミの時間_サイズの生物学』
②『時間は存在しない』
③ジャネーの法則
の3つは自分にとっては目から鱗だし、とても興味深く、単純におもしろかった。

「盲目的に同じだと感じていることでも、人それぞれ違う」
そんなことに気づきもせず日々を過ごしていたんだなと、少しショックではある。

当たり前で、分かりきっていることのような気もするが、当たり前だからこそ忘れがちになる。
その当たり前を自分の価値観の前提に置くことが、良いコミュニケーション、関係性の始まりなのではないか。

時間感覚の違いに関して、頭では理解できたと思う。
しかし、現実には、やはりイライラもするし、怒ってしまっている。


上記の内容をふまえて、なぜ怒ってしまうのか。親子の時間感覚のすれ違いに対し、自分が寛容でないのか、うまい対処法を知らないだけなのか。
うまい対処法でうまく対処出来たとして、はたして対処していくこと自体が正しいことなのか。こどもにとって、自分にとって良いことなのか。
対処法によりうまくいくことで、こどもにとっては取りこぼす”何か”があるのかもしれない。
などなど感じたことを次の記事に書いていきたい。



※以下は追加の引用

『ゾウの時間 ネズミの時間_サイズの生物学』本川達雄著

​体重が増えると時間は長くなる。時間は体重の1/4乗に比例する。体重が16倍になると時間は2倍になる。
生物における個体によって時間が変わる時間を、物理的時間と区別し、生理的時間と呼ぶ。
以上を応用して「心拍数一定の法則」を考えた人がいる。
息を1回スーッと吸って、ハーッと吐く間に、心臓は4回ドキンドキンと打つことになる。(哺乳類ならサイズによらず、みんな同じ)
寿命を心臓の鼓動時間で割ると、哺乳類はどの動物でも、一生の間に心臓は20億回打つという計算になる。寿命を呼吸する時間で割れば、一生の間に約5億回繰り返すと計算できる。
物理的時間で測れば、ゾウはネズミよりずっと長生きである。しかし、もし心臓の拍動を時計として考えるならば、ゾウもネズミもまったく同じ長さだけ生きて死ぬことになる。一生を生き切った感覚は、存外変わらないのではないか。
「自分の時計は何にでもあてはまると、なにげなく信じ込んで暮らしている」


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