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【詩のようなもの-1】君とはまたどこかで会える

あれも人生
これも人生
あれこれやりたい事で夢うつつ
立ち止まって考えてみたい
それは一体ダレの希望?
"我々"とか"データ"とか 隠れ蓑から出てみな
かけがえのない思い出 つむぐフレッシュなマイエリア
主人はダレ? 最後は楽しめば
君とはまたどこかで会える

小学校の課題以来、はじめて「詩」として人様が読める場所に書いた。じぶんは昔から言葉が好きだったから、詩も好きだった。でも詩を書くってなんか小っ恥ずかしい。じぶんの中で確かなことと、気持ちの良いリズムの言葉を一旦「詩」であると定義してみた。定義はまた変わるかもしれないし、途中で飽きてやめるかもしれないけど、今おもろいからやってみたいと思います。

ちなみに今回の主題は、「人生フルーツ」で一躍有名になられた建築家 津畑修一さんが編集者 武田さんに送った言葉から発想を膨らませました。
武田さん、いろいろの資料ありがとう。でも、あなたが、これから一生をかけてつくりだそうとする<暮らし>のメッセージがないのが心配です。学会を背景にしたり、学閥をかくれみのにしたり、多数の一人として発言したり…<集団をなす生物は弱い>といわれます。
「我々は…、都市は…」ではなく、「私は、ここにいる」と宣言できる強さをもってほしい。
津端修一

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