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昭和レトロっていつのこと?

「昭和」テーマでnoteを書き始めたのは、自分が子どもの頃や親が若かった頃の昔話を書き留めておこうという単純な動機だった。けれども、あまりに「昭和」を連発すると、まるで自分が「昭和」という時代を代表する世代のように自分で勘違いしかねない。実のところ、私が「昭和」を過ごしたのは24歳までであって、その後すでに35年が経つ。自分の人生の中では既に「非昭和」の方が長いのだ。

それでも「昭和しばり」にこだわるのは単なるノスタルジーが半分。残り半分は世間的にも「昭和レトロ」という一種のスタイルカテゴリーが成立しているようだから、それにあやかろうという無意識の魂胆じゃないかと自己分析している。

しかし、考えてみると昭和は63年間もあった。その最初の20年間わが国は外国と戦争していた。私の父が生まれた昭和8年と、日経平均が4万円に向かってウナギ昇りしていた昭和63年とでは人々の生活はまるで違った。その中で「昭和レトロ」というのはいったいどのあたりを指すのか? 

と思って検索してみると、東京都青梅市に「昭和レトロ商品博物館」なる施設を発見。そこで展示されているのは「昭和30年~40年頃のお菓子や薬などの商品パッケージを中心におもちゃ、ポスター、ドリンク缶など懐かしい生活雑貨」だそうである。昭和30~40年代とはつまり、第1回東京オリンピック(昭和39年)を挟んだ高度成長期のことだ。なるほど、戦後日本の第一次イケイケどんどんの頃(第二次を昭和末期のバブル景気だとして)を象徴するものが「昭和レトロ」なのだね。

それであれば私の子ども時代とぴったり一致する。当時、経済とか景気とかの話はわからなかったが、モノの値段がものすごいスピードで上がっていったのはよく覚えている。その後、昭和48年と53年に2度のオイルショックがあったとはいえ、昭和を通じてまだまだ人口も経済も右肩上がり。戦中世代の親も含めて、将来に対しては漠然と楽観していた大人が多かったと思う。

もちろん当時の社会にも問題はたくさんあって、たとえば工場や車の排ガスなどによる「公害」は深刻と言われていた(水俣病は言うに及ばず)。実際、実家のある京浜工業地帯でも頻繁に「光化学スモッグ警報」が発令され、そのたびに外で遊んではいけないことになった(もっとも我が家ではさほど気にしていた記憶はないが)。まだ地球温暖化とか気候変動という言葉のない時代、「環境問題」というのはあくまでも局所的に発生して局所的に対処する話だったのだと思う。

あの頃は、経済成長がすべてを癒すと信じられていた(一部の政治家や学者はまだ信じているみたいだが)。みんなが真面目に自分の仕事をがんばって、自分の家族を幸せにさえすれば、日本全体の社会経済が自動的に良くなっていくと信じられた時代。「昭和レトロ」に惹かれる理由は、単なる懐かしさに加えてそういう「単純明快さ」への郷愁なのかもしれない。これを書いていてそう思った。

今日の写真は、先日訪れた山形県上山城郷土資料館の上空。

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