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なぜ世界の問題解決に興味を持ったのか?(大学編)

それは・・1998年の春にカンボジアのプノンペンで中年の男2人がレストランで話していたことがスタートだった。

「昨夜の女の子は痛がってたよね~・・」

「痛くなくやるには〇〇〇・・・」

うだるような暑さの中で何気なく選んだ安そうな大衆食堂。

そこに僕より先に居合わせたオジサン2人。

昨夜の売春婦との夜の伽の話なのか、嬉しそうにビールを注いで女性とのまぐわった武勇伝を細やかに話している。

どうも僕のことを日本人とは気づいていないみたい。
それか僕が日本人だと分かっててもそれを恥じるほど清らかでもなく、お構いなしに日本語で盛り上がっていた。その話は全て僕の耳に自然と入ってきてしまっていた。

そろそろ店を出ようかとしたときに、

「今夜は11歳にしましょう。9歳の子だとやっぱりどうしても痛がっちゃうから・・」

。。??

最初は理解が出来なかった。てっきり成人した売春婦とのお楽しみの話をしているかと思っていたわたし・・・そして若かった僕のスイッチは一気に切り替わりました。

僕はそのおじさん2名に近づいて、店から出された熱めのコーヒーを彼らに突然かけ、

「さっきから聞いてりゃ気持ち悪いんだよ!この汚いウダつも何もあがらないジジイが!」

オジサンはかなり突然の僕が仕掛けた”テロ”に慄きながらも、すぐさま大喧嘩になりました。オジサン2人も負けずに僕に殴りかかってきて・・

カンボジアの昼下がりの日本人同士の殴り合いの喧嘩はただただ好奇の的でした。

その日の夜・・・下水臭い安宿の部屋の中で良く考え反省をしました。

「見知らぬオッサンをぶん殴っちゃったんだから、確かにオレが悪い。。」

これはなにがしかの責任取らないといけないといけない。

今思えばこれが、僕が「世界の社会問題解決」に圧倒的に傾倒したエポックな出来事だったと思います。

自分の人生の時間を”世界中の社会問題解決”に使おうと決めた時でした。

それ以降、大学のキャンパスによくいる”意識の高い”熱い”国際協力”な純朴青年だったんだと思います。(茶化しているのではなく本当にそう思う。)

その時には”世界の格差はなくせる”とか”皆がhappyに生きれる方法”とかなんだか想いだすと恥ずかしくなるようなことを具体的な解決方法も分からずに青臭く考えていました。

本気で何か自分ならできるのではないかと根拠のない自信を武器に真剣に考えてたからこそ、周りの友人とも、夜中まで語り合っていました。

そんな時に、4年生になりいよいよ周りが就職活動の時期に入ってきたのです。

そんな時に感じた違和感は次回お話します。


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