天分20年(1551)9月1日は陶晴賢(隆房)が謀反の兵を挙げ大寧寺の変にて大内義隆が自害した日。義隆が重用した文治派の家臣と武断派の晴賢らとの対立が招いた結果。晴賢は義隆の甥で大友宗麟の弟晴英を大内氏の当主に迎えた。当時西国随一の大内氏崩壊により勢力図が大きく変わるきっかけに。
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