慶長11年(1606)4月19日は柳生新陰流の祖、柳生宗厳が80歳で死去した日。剣術に絶対の自信があった宗厳は新陰流の祖・上泉信綱に試合を申し込むも弟子に完敗し入門。主君が滅亡し没落した後に家康に招かれるが自らは仕官を辞退。代わりに推薦した五男の宗矩が将軍家の兵法指南役となる。
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