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柿の例えが人の使い方から個人的な得意不得意の話にも繋がった武田信玄の逸話

こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。

今回取り上げる逸話は武田信玄の言葉です。
信玄といえば、強力な武田軍を率いて信長や家康を恐れさせた強さはもちろんですが、息子勝頼の代で武田家が滅ぶ原因を作ってしまったといわれる弱さも含めて魅力的な戦国大名の一人です。

数多くの逸話が残っていますが、優秀な家臣団を作りあげた信玄らしい人の使い方や人の才能の見方に関する話があります。今回の逸話は人の使い方に関するものですが、個人的な能力に対する考え方にも共通するのではないかと思い取り上げました。

ある夜、信玄公が仰るには、
「渋柿を切って、木練(こねり=甘柿)を継ぐというのは、小心者がすることである。中以上の武士、とりわけ国持大名にとっては、渋柿は渋柿として役立つものである。ただ、渋柿がよいからといって、継いである甘柿を切る必要はない。人を使うすべてのやり方はこのようなものである」
とのことであった。

人の才能や人柄といった個性を柿に例えた信玄の言葉です。
渋柿だからと嫌って切って、甘柿の木を継ぐように、ある人の個性を嫌い、好ましい人に役目を交代させることは小心者がすることである。有能だと思う人に役目を集中させるという言い方もできます。数多くの人を使う立場であれば、渋柿には渋柿としての役目を与える必要があると。

こういった人を見る目と使い方をしてきたからこそ、戦国最強と言われる武田軍が作り上げられたのでしょう。

人を使う場合だけでなく、これは人を育てると言った場合にも言えますね。渋柿と甘柿といった個々の能力を見分けて、無理に継ぐことはせず、ある能力を伸ばすことに注力した方がいいということにならないでしょうか。

他人に対してだけでなく自分自身についても、渋柿という苦手なことに無理に甘柿を継ぐように取り繕って繰り返すことはとても苦しいです。自分にとって、もともと好きで得意な甘柿を伸ばしてやるような生き方ををしたいものです。一方で、信玄の言うように既に渋柿に継いである甘柿を切る必要はないですよね。

人の使い方、育て方、自分自身についての考え方、信玄公の言葉からいろいろなことが繋がった気がします。

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