見出し画像

同じ話でも見方を変えて異なる解釈ができると二度おいしい逸話「汁かけ飯」

こんにちは、両兵衛です。

なにか大きなことを成し遂げようと思えば、日々の小さな積み重ねが大切だといわれます。日常で無意識にしているちょっとしたこと、例えばご飯の食べ方ひとつとっても見る人が見れば関係しているんだぞという逸話「汁かけ飯」を取り上げます。

今回登場してもらうのは北条氏康と氏政です。小田原城を本拠地として初代・北条早雲にはじまり五代百年にわたり関東を治めた一族で、その三代目が氏康、四代目が氏政です。ちなみにヘッダ画像は小田原駅前で撮った北条早雲像ですね。

ある日、氏康が氏政と一緒に食事をしていたが、急に涙を浮かべ

「北条もわしの代で終わりとなるだろう」

と言ったので、氏政をはじめ家老衆が興ざめした顔になった。
それを見て氏康は言った。

「今、氏政の飯の食い方を見ていたが、一つの飯に二回も汁をかけて食べた。最初、汁をかけるとき、どの程度が適量か推し量ることができなかったようだ。まことに不器用なことだ。

朝夕食べる飯についてさえ、こんなことでは、人の心の内など探ることは未来永劫できないであろう。それでは良き家臣など持てない。

戦国の今の世の中で、わしが明日にも死ぬことがあろう。その時、隣国から敵が乱れ入って、氏政を滅ぼすことは疑いない。

そう考えて、北条はわしの代で終わると思ったのだ」

日常のちょっとしたことから、さまざまなことを見積もる力、見極める力は養われるということなのでしょうね。

氏康は、あの武田信玄、上杉謙信と互角に争ったとても優れた戦国大名でした。一方の氏政は、家督を五代目の氏直に譲っていたとはいえ、豊臣秀吉に攻められて北条家を滅ぼしてしまいました。

私は氏政も決して凡庸な武将ではなかったと思っているのですが、氏康と対比させるため、このような逸話が残されているのでしょう。

氏政を凡庸に扱った「汁かけ飯」ですが、三谷幸喜さんが脚本を書いた大河ドラマ「真田丸」では全く違う使い方をしていました。高嶋政伸さん演じる氏政が、汁かけ飯を食べながら戦略を練り一人こうつぶやくのです。

「先を急ぐな。食べる分だけ汁をかける。少しずつ、少しずつ。わしの食べ方じゃ。北条の国盗り。ゆっくり味わおうではないか」

慎重に少しずつというのが向いている人や場面はありますからね。同じ逸話でも見方を変えて異なる解釈ができれば、得られるものが変わって面白いですよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?