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やっぱりaikoを激推ししてくる親友、あるいは、これからの心の指標のようなもの。

 昔似たような記事をnoteに書いた。記事自体は消してしまったが、どうにもあの時考えたことを更新して整理しときたい気分になった。初めに断っておくと、自分はaikoのファンではない。今は、まだ。
 数年前、詳しい経緯は聞いてないが、親友が気づいたらaikoの大ファンになっていた。僕らの年齢からすると、ちょっと珍しい気がした。それまでの人生で、aikoをカブトムシ以外まともに聴いたことがなかった自分は、「試しに一曲俺にオススメするとしたら何?」と聞いた。逡巡した彼が薦めてきた曲は、『湿った夏の始まり』に収録された一曲の『だから』だった。

 この曲の良いところについて聞いてみると、「なんというか、社会性がないところ!恋じゃなくて愛の歌なんだよ!」と言われた。
 その発言を受けて書いたnoteは、『だから』の歌詞について、聴いて思ったことを、ただつらつら書いただけだった。コロナ禍が明けてすぐのことだったので、どうしても人の関係性とか心の距離とか、そういったことを考えがちだったが、今改めてaikoを聴いて思ったことを書いてみる。

 なんでも世のaikoファン達(「お花ちゃん」と呼ぶらしい。)は「個人的今年のaikoベストプレイリスト」を作成するのがお決まりのようで、その親友も例に漏れず年間ベストプレイリストを作成していた。2023年を振り返って作成されたプレイリストを2ヶ月ほど前に送ってもらい、なんだかんだ気に入って聴いている。そして、聴きながら、たまに歌詞を見ながら、親友の言ってた「恋より愛のうた!」というセリフが、なんとなくイメージとして掴めてきた。

 まず前提条件として、その親友も自分も男性なので、それを加味して考えると、aikoの歌詞の(おそらく)女性は“強過ぎる”のだ。しかも、女性的な、柔和さを伴う強さで、これは自分達の中には、男性としては本能的に備わっていないと感じるような強さだ。例として、どの歌詞をあげたらいいのかは決められないが、もう少し具体的に言うと、「強く“あなた”を想って自分の気持ちを歌っているのに、そこには自己犠牲からの陶酔とか、下心が感じられず、「わたしはわたし、あなたはあなた」という線引きがちゃんとされていて、悲しいことがあっても気持ちは必ず明日、もしくは未来向いてる。」といったところだろうか。おそらくだが、自分はこの“強さ”に珍しく共感して、そして少し羨ましく思っているのだ。

 自分の経験と考えを書き連ねるとキリがないのでやめるが、経験上「相手を正直に想い続けるには体力が必要で、人間にはそのエネルギーが無い。」とわかっている。まあ、それでも、その無理だと感じるスタイルが、今のところ自分の性格には合っているということも、今までの人生における暫定的な答えなので、どうにも万事休すである。
 ところが、aikoの歌詞から感じる強さは、この無理なスタイルを活かしていくためのヒントな気がしてならないのだ。「わたしはわたし、あなたはあなた、だからね!」という線引きは、なんとも心地よい。もともと、自分はそういう性分なのだが、歌として、言葉として具体的なイメージを聞いてみると、今後の自分の心のあり方について、ひとつの指標のような気もしてくる。世の恋愛とは一線を画して、aikoの歌う“愛”は強いのだ。
 
 今のところ、自分の中でのaikoのイメージはこんなところだ。そういえば、今年の劇場版名探偵コナンはaikoがタイアップしていた。もう劇場でコナン観ないかもと思っていたが、「aiko歌ってるし、平次と和葉だし、観に行ってもいいかもなぁ。」とか考え始めている自分がいて、すこしおかしくて笑っている。


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