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「食を編む」 ということ。

はじめまして。

2020年8月1日から『macaroni』というメディアの副編集長をやってます、高倉 遼(たかくら りょう)と申します。

メディア業に関わる者としてだけでなく、"食"を愛する1人の人間なりに思いを表現する場として、noteを始めてみました。

日々の暮らしでふれる"食"について、自分なりの感覚と言葉で、考えていること・感じていることを、気ままにボンヤリ綴っていこうと思います。

初心者ですが、よろしくお願いします。

「食べる」ってなんだろう。

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食べられる準備中の鶏もも@自宅

僕たちは毎日、何かを食べて生きています。

食べるという行為は、生命活動の維持に必要なエネルギー摂取手段のひとつ。現代社会では最もポピュラーな手段なので、僕たちは毎日、生きるために何かを食べています。

……なんですが、「よし、とりあえず活動エネルギーを得るためにご飯を食べよう」とだけ考えてお箸を取る方、きっと少ないですよね。(一部、僕の友人にもそういう方はいますけども。)

僕は、こんにちの「食べる」という営みは、僕たち人間が長い時間をかけて権利を獲得してきた、特権的な行為のひとつだと考えています。

食は、生命活動の礎としての価値だけでなく、1人の人間の想像力が及ばないほど、実に多様で複雑で不可思議な何かを生んでいると思うんです。

「食べる」が生むもの。

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食べられる準備中の豚肩ロース@自宅

僕は「食べる」時、生命活動に必要なエネルギーだけでなく、1人の個として大切に思える何か、も合わせて手に入れているように感じています。

何を食べるときも、見えない何かを勝手にそこに感じているんです。

その何かが、数字や理論では表せない形で爆発的に発生・増幅し、頭と身体をかけめぐっていく……みたいな。色んなケースがあるので、明確に言葉で表すのは難しいのですが。

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そんなエネルギーの発生が、毎日毎時どころか、毎秒レベルで地球上のあちこちで同時多発的に起こっている。のかも。

それが当たり前なのが、現代の暮らし。なのかも。

食事のせいで地球がヤバい。

いや割と本気で、いい意味でヤバいことだよなと思っています。

「何か」がいつも違う。

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間借りで作ったカレー@恵比寿

僕が食を通して感じている「何か」は、その多くが恐らく、自分と他者の存在と密接に関わっている、社会的な概念や価値に近しいものなのだろうな……と思っています。

誰かと一緒に食事をとる、見知った人物が関わった食材や料理を味わう、自分が考えて作った料理を1人で食べる、などなどのシーン。

「食べる」に至るまでの自分と他者の関わり方や、その時の条件と状況によって、体験が生む何かが複雑怪奇に変化するような感覚。

なので、仮に同じものを食べても、得られるカロリーは全く同じですが、その他に得られる何かは、少なからず毎回違うのだろうなと思います。

深夜にデスクですするカップラーメンも、星付きレストランでの食事も、その時々に応じた価値が生じうるので、食はとても価値の自由度が高い領域だと考えてます。

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僕は、そんな"食"というものが一体何者なのか?生物学的な意義だけでない価値は、果たしてどこにあってどう生まれるのか?

というテーマの、謎に満ち満ちた奥深い味わいを、一生感じ続けていたいと思ってます。自分中心ですね〜汗

そして、その真髄に近づきながら楽しんでいくためには、迷ったり飲まれたりしないよう、何か指針を立てて生きていかねばなりません。

僕は、そのために自分にとって大切な行為が「編むこと」だと思っています。

(少しニュアンスは違いますが、もちろん三浦しをんさんの『舟を編む』のウケウリです。)

「食を編む」ということ。

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島の食材で作ったブイヤベース@長島

8月から"macaroniの副編集長"という肩書を持つこととなり、自分のやるべきことがようやく明確に見えてきました。

僕がやるべきことは、「食べる」という行為にまつわる、いろいろな情報や価値観を伝えるために、言葉を紡ぐこと。(もちろん動画でもイベントでも、形はなんでもよいです。)

そして、自分なりに大切に紡んだ言葉を集めて、"食"という大きすぎるモノを捉えるため、ちょっとずつ、ちょっとずつ編むこと。

【編む(あ・む)】
① 糸・竹・髪の毛など細長い物を、結び合わせたりからみ合わせたりして、一つの形ある物を作り上げる。 「毛糸を-・む」 「竹でかごを-・む」
② 文章を集めて本を作る。編集する。 「論集を-・む」
③ いくつかの物をまとめて一つに組織化する。編成する。

誰かにとって価値ある情報、自分にとっても意義ある何かを、粘り強く編み続けて世の中に届けていく。

そうして、底が見えない"食"の深みにハマりながら、もがき続けながら、少しずつ少しずつ理解していく。

きっと、死ぬまで編み終わることはないと思いますし、どこまでやっても理解しきれないですし、時代の流れに応じて編み方も変化し続けるはずです。

でも、そんな道のりも楽しみながら、この摩訶不思議なものをずーっと最前線で味わうために、僕は "食を編む"ことに、命を燃やそうと思うのです。

終わりに

しかしながら、この流れで「macaroniって編めてるメディアなの?」と問われた場合、「ウチ、しっかり編んでます!」とは、口が裂けても言えません。​

だからこそ、良いメディア/サービスを作っていくために頑張ろう、という意思を表明するためにも、この取り留めもない文章を記しました。

これからも定期的に、食に関する内容を中心に、ちょっとした文章を書いていこうと思います。

漫画、映画、音楽、旅についての話もたまに出てくるかもしれません。

それでは今後とも、よろしくお願いいたします。

高倉

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