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プラハには"春"があった。【旅の雑記 vol.1】

リアルな体験を伴う価値の創出が、当たり前ではなくなった時代。

今年は、夏の帰省や旅行もままならず、少し悶々とした日々を過ごしている方も多いことかと思います。(僕も、そうです。)

そんな時だからこそ、自分の頭の整理を兼ねて、これまで訪れた旅先で感じたことを、少しずつ言葉にしていこうと思い、筆をとりました。

2019年4月 チェコ共和国、プラハ。

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昨年の4月から5月にかけ、僕は東ヨーロッパ諸国を1人で巡っていました。

旅の始まりは、チェコ共和国の首都、プラハ。そこを起点に、トルコのイスタンブールを目指す約1ヶ月の旅がスタートしました。

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正直に言うと、「プラハ良かった?」と聞かれた場合、手放しで「とても良かった、最高!」と答えることはないと思います。

食事がおいしいか?と言われるとそこまででもなく、人が魅力的か?と言われても、まぁ……

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確かに街並みは小綺麗で可愛いし、メジャーな先進国とは一味違った趣と雰囲気はあるし、とにかくビールが安くておいしい。

いやはや、ビールがうまい点は本当に素晴らしい。ご飯に関しては、可もなく不可もなくといったところ。

プラハで食べたもの。

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名物、ローストダック

ジューシーで臭みもなくおいしいのですが、ひとり旅だと、なかなか辛いものです。

量が多いので、どうしても飽きてしまう。コスパも良くはありません。笑

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スヴィチコヴァとクネドリーキ

牛肉(多分ホホ)を柔らかく煮込んだシチュー的なものに、サワークリームとジャムを混ぜて食べる。コクは強いけど酸味が抜けてくるので、クドくない。

添えてある茹でパン、クネドリーキがおいしい!

そんなプラハでの滞在中、なんだかとても印象的だったのが、"春"を強く感じたことでした。

プラハの、春。

世界史で習う「プラハの春」とは関係なく、プラハで過ごした春は、僕の心に強い印象を残すこととなりました。

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プラハの春は、なんだか日本の春ととても似ていたんです。

プラハの街には、ソメイヨシノ(たぶん……)が咲き乱れる公園や並木道があちらこちらに点在していました。

どうやらプラハで暮らす人々は、桜を見ながら談笑したり、軽く食事をしたりしている。

日本における、お花見文化と似た感覚を持ち合わせているようでした。

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そんなプラハの街を見て、僕は自分のアイデンティティ的なものへの理解が、少し深まるような感覚を得ました。

この旅では最初の目的地だったので、日本ロスに陥っていたわけでもありません。

ですが、プラハで触れた春の姿は、「日本という国で生きてきた自分」を強く意識するきっかけになったんです。

瞬間と、変化。

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「日本の四季は美しい」とよく言われますよね。

侘び・寂びという概念と情感を文化の源泉としてきた日本人にとって、栄枯盛衰や輪廻といったテーマは、とても大切なもの。

そのテーマを表象するにあたり、わかりやすく普遍的なファクターが「四季」なのかな、と僕は考えています。

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時間の経過に伴って人も物も事も、めまぐるしく変化していく。

だから、目の前にあるものは常に「一生に一回しか見られない」のだということ。

ビジネスの世界では「現状維持は停滞だ」という言葉がよく使われますが、日々の暮らしも、そうなのかもしれません。

明確な季節の移ろいがある日本で、詫び・寂びという感覚に触れながら生きてきた自分にとって、「変化」はとても身近な存在。

ただ、改めて考えてみると、ただそこに存在するだけではなく、自分の人生に様々な示唆を与えてくれている気がする。

自分の行動原理でもある「目の前の瞬間を大切にしたい」という考えの源泉として、「変化」が存在しているのかもしれない。

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遠い異国の地で、日本に似た春に触れ、ふとそんなことを思ったプラハでの滞在でした。

次回は、オーストリアの首都、ウィーンを訪れます。

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