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知ることに貪欲に。

最近見たある言葉が、すごく胸に刺さった。

その言葉というのが、

「知りたいことより伝えたいことが多くなったら老人」


耳の痛い言葉だ。

ここのところ、「なんか自分の中でうまくサイクル回っていない感じがするんよな」と思うことがある。それって、記事にもしたけどアウトプット過多になっていてインプットの時間を設けられていないから。

こういうnoteという場などで、毎日のように文章を書いているのを傍から見ると、めちゃくちゃ伝えたいことがある人なんだな、と思われるかもしれない。

別にそれが100%間違っているわけではないけど、私の中では「そのためだけ」じゃない。むしろ、「もっと知りたいことがあるから」だ。

もっと知りたい、もっと学びたい、だけど自分が今いろんなものを抱えすぎていてもう頭に入ってこない。だからすでに抱えているものを文章というかたちで昇華する。そうして生まれた余白に新しい学びを入れる。というサイクル。


伝えるということに価値を置いてないわけじゃない。
知った後の集大成が伝えるだ。

だけど伝えるという行為は、いわば「止まっている」状態だと思っている。なぜなら今自分が持っているものを、うまく調理しているわけだから。新しい何かを手に入れるわけじゃない。でも時間の流れは進んでいき、いろんな新しいものが出てくる。やがて取り残されてしまう。

一方で「知りたい」は材料集めだ。調理するための材料集め。それは時間の流れに従って集めていく。常に新しいに触れ続ける。


私は常に自分をアップデートし続けたい。

大事にしている言葉の1つに、
「何を得るかより、何を残すかが大事だ」というものがある。

これはまさにその通りで。
その通りだとしたうえで、ちょっとそこに反抗するとしたら、
「人生の楽しみの1つは、知らないことを知ること」だとも思っている。
新しい発見をしたあの瞬間って、何にも代えがたいものがある。


まだまだ自分は落ち着きたくない。
新しいものを取り入れるための余白を生み出す手段としての「伝える」を続けたい。

「いいか、よく聞け」とドカッと座るんじゃなくて、
「え、何それ!気になる!」みたいな。

そういった部分では、いつまでも子供心を持っていたいな。

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