”モヤ”を溜め込まない
日常生活を送っていくと、いやでも”モヤ”が溜まっていく。
この”モヤ”っていわば、「あれ?」と思うことや「ん?」と思うこと。
だけど言うほどでもないかな、ってことで我慢をする。
きっと多くの人はそんな感じなんじゃないかな、と思う。
もちろんそんなことない!という人もいるかもしれないが。
この”モヤ”が溜まっていくうちにやがてそれは”モヤモヤ”になる。
この”モヤモヤ”のはけ口を持っていないと「爆発」しかねない。
そんなことを思いながら日々を過ごし、私はそのはけ口の1つとしてnoteを書いているんだけど、最近ある言葉に目が留まった。それが、
ほんとそうだな、って思う。
まだ我慢できているうちは、必死に自分で蓋をして感情が飛び出さないように押さえつけている。でもやがて押さえつけることで止めていた水も、コップからあふれ出す。そして厄介なのが、「いつ溢れるのかわかんない」ということ。
自分で溢れるタイミングが分かっていれば、そのはき出しの調整ってできるんだろうけど、これがまたわからないもので。正直、私も自分がどこまで感情だったり根性だったり体力だったりが持つのか、わかっていない。自分と向き合う習慣をつけていてもだ。
でも耐えられなくなってからではダメで、溢れ出してからではダメで。
自分が自分の溢れ出すタイミングを知らないのと同じように、第三者は第三者であなたの状況を知らない。なんなら溜め込んでいる、ということすらわからないかもしれない。
たった1回の「溢れ出し」が、最悪のタイミングになることだってあるのだ。でも繰り返すように、そのタイミングを調整するのは難しいわけで。
だったら普段からちょっとずつでいいからはき出しておくことが大事なんだろうなと思う。
”モヤモヤ”にいくまでじゃなくて、”モヤ”のタイミングで。
もちろん自分の「ありたい」姿ってあると思う。
その姿に反するのであれば、我慢をするという選択肢も1つ。
でも人間無理をして聖人君主である必要はないと思っていて。
お互い足りない部分があるから補い合えるわけで。
自分が”モヤ”をはき出すから、相手も”モヤ”をはき出してくれる。
そうやってお互いの「人間臭い」部分を出し合える、そんな関係性を大事にしていきたいなと思う今日この頃。
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