相談相手
あなたには自分のすべてをさらけ出せる相談相手がいるだろうか。
何かあったときに、「この人に取り敢えず聞いてもらいたい」そう思える相談相手がいるだろうか。
僕にはずっといなかった。
少なくとも生まれてから高校卒業まで。
友達、先生、家族も含めて。
何もこれは「信じていなかった」だったり、「好きじゃなかった」だったりそういうわけじゃない。むしろ好きな人たちばかりだったし、尊敬する人も多かったりした。「この人の力になりたい」と思う人たちばかりだった。
だけど、いや、だからなのか、自分の全てをさらけ出すことができなかった。さらけ出そうとする時にいつも頭にチラつくのは、
という感情。
今思うにこれは幼少期に、自分の知らない状況で自然と大切な人たちが近くからいなくなったことが少しは関係している気がする。
「もう誰も離れてほしくない」
潜在的にそういった思いがあったのかもしれない。1人になるのが怖かっただけかもしれない。
だけど別にそういった選択を取っている自分を悲観的に捉えることはなかった。当時の自分にとってはそれが最善な選択だと思っていたから。
溜め込んだストレスやモヤモヤは、家に帰っても処理する場所はなく、唯一素の自分を表現できるのは部活動でやっている野球と、家に帰ってからのランニングくらいだった。
高校を卒業して大学に入った。
唯一の「はけ口」だった野球を、僕は失った。
サークルでもいいからやればいいじゃん、という声が聴こえそうだ。草野球サークルに見学に行った。大学入学して一週間、サークルの体験中に骨折(全治3ヵ月)をした。部活動でもしたことなかったのに(笑)
そこから自然と足が遠のいた。
僕の居場所は学生寮になった。
ここは初めて自分が「素の自分」でいいと思わせてくれる場所だった。
どうしてか。
上の記事でも書いたけど、自分と似た境遇の人が何人もいた。
自分と同じ匂いのする人が何人もいた。
肩ひじを張る必要がなかった。ただそれだけだ。
そんな学生寮で僕は初めて「相談相手」に出会った。
ある日、今後の進路に悩んでいた自分はとうとう頭の中が爆発しかけた。なぜなら進路を考えるときに、いろんな”しがらみ”が頭をよぎったから。
だけどそんなこと友達には相談できなかった。きっと話しても「大変だね」「かわいそう」と思われてしまうと思ったから。実際話せばそんなことないのかもしれないが。
案外冷徹な人間と思われるかもしれないけど、「かわいそう」と言われても、あんまり嬉しくない。だってそれじゃ何にも解決していないから。
まあそんなこんなで、誰に相談しようかな、ってなったとき、自然と電話を掛けている相手がいた。それが学生寮の先輩だった。
なんでその人を選んだんだろう。
時折ふと考える。
シンプルに「この人に話を聞いてもらいたい」と思ったのかもしれない。
じゃあ何で話を聞いてもらいたいと思ったんだろう。きっと話を感情で解決しようとせずに、事実を受け止め、それに対しての意見をくれる人だと思ったんだろう。
思っていた通り、その先輩は口を出さずに真っすぐ話を聞いてくれた。そして全てを聞いた上で一言、
「もっと自分のために生きてもいいんだよ」
って。
それに続けて、
「なんか言われたらさ、私が̠加戦するからさ」
すごい心強かった。相談してよかったと思った。
就職を気に、新潟を離れた。
僕はまた一人になった。
でも人間面白いように出来ているのか、必要な時に必要な人と出会う。
新しくついた地でも相談相手を見つけた。
歳はちょっと離れている(失礼)。
でもそんなこと全く感じさせない。それは僕が精神年齢的に大人なのか、相手が精神年齢的に子供なのか。。。。
そんな冗談はおいておいて。
「この人になら全てをさらけ出していい」
そう思える存在だった。
どうしてだろう。
大学の時と感覚はちょっと違う。
きっと「同じような弱さを抱えているから」なんだと思う。
見るからにポジティブな人とか、イケイケどんどんの人って、もちろんエネルギーをもらえるし、ハッピーになれるけど、僕はそんなに強くない。それに、そういた人に何か相談するのは気が引ける。
相談したいと思った相手はそうじゃなかった。
むしろ弱さも強さも、どっちも抱えていた。
なんなら向こうの方から悩みを相談してくることもあった。こんな年下に。
だから僕も安心して弱さをさらけ出せた。
ずっと相談することができない自分がいた。
そこから相談相手を見つけられた自分がいた。
それでわかったのは、困ったとき、悩んだときに「この人に相談したい」と思える相手が1人でもいることがどれだけ大きいことか。
悩んだときこそ1人になっちゃいけないと思う。
これは同じように、誰かが悩んでいるときに1人にさせちゃいけない、にもつながる。
私は、相談したいと思える相手を大切にしていきたいし、誰かにとってのそんな相手になってあげたい。
そう思える相手はたくさんいなくてもいい。
1人、1人いるだけで楽になる。
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