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これまでは自分のおかげだし、これからは自分にかかってる

まだ25歳だし、もう25歳。なんならもうすぐ26歳。
これまで本当にいろんなことがあったなって思う。

いろんなこと、なんて一言で片づけたけど、一言で片づけるしかないくらい濃密だったと思う。良くも悪くも。

それを乗り越えてこれたのは、今こうやって元気でいられるのは巡り合ってきた人に恵まれていたからというのは言うまでもない。

「こんなに幸運なのか」

と思うくらい人に恵まれている。

というのは、自分がそう思いたいだけなのかもしれない、という俯瞰的な自分もいる。いい人は本当にたくさんいて、でもそうじゃない人も当然いた。「そうじゃない」人を除くといい人ばかりで。トータルいい人ばっかりということで。

ただ、いい人出会えたとしても、それを気づけるかどうか、自分に必要と思えるかどうかって結局自分次第だから自分に対しても「よくやった」と言いたい。

今こうやってある程度しっかりした大人になって、ある種まとまった人間になれているのは目の前の1個1個を積み重ねてきた自分のおかげだと思っている。

これって当たり前じゃない。
いろいろと迫られる選択肢なのなかで、その都度その都度何かを選ぶ。時に間違えたときもあったけど、選んだ方を正解にしようと邁進してきたから今があるんよね。すごいよ。


すごい、と思うと同時に、それはこれからの自分に対してのバトンパスでもある。これから自分がどうなっていくかも、自分にかかってるよ、って。

時間をどう使っていくかとか、どういう人と会っていくかとか、どんなことをやっていくかとか。

ありがたいことに主体的に選べる状況にいる。ある程度考えられる力もある。あとはそれを使うかどうかで、主体的になるかどうかで。

それは無理をすればいいというわけでもないし、ただ飛び込めばいいというわけでもないと思う(たまにはそういうのも必要かもだけど)。


そこに自分の意志を持ちたい。
どうしてそれを選ぶのか、どうしてその時間の使い方をするのか。
これからどうしていきたいのか。

1つに定まるに越したことはないけど、それはあくまで結果論で。大事なのは向き合い「続ける」ことで。成り行きにはならないように。

これからの自分は自分にかかってるのだから。


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